2023年10月21日(土) 

 

東洋経済オンライン(略) 山本康正氏の意見・4時間  

 

>かつては小学校を卒業後、近隣の公立中学校に進学する人がほとんどだったが、近年は都市部を中心に中学受験が過熱している。   

>「よりよい学校に進学させたい」という親心もあるのだろうが、「中学受験はしたほうがいい」と本当に言えるのだろうか。   

>ハーバード大学院理学修士、元Google、ベンチャー投資家というキャリアを歩んできた山本康正氏が、学歴や中学受験について子ども向けに語った。   

>※本稿は山本康正氏『きみたちは宇宙でなにをする? 2050年に活躍するために知っておきたい38の話』から一部抜粋・再構成したものです。   

>「頭がいい」ってなんだろう   

>「頭がいい人」と聞いて、きみはどんなイメージを抱くかな?   

> テストで100点を取る人、成績上位の人、そんなところかな?   

>中学受験「偏差値40台」目指した子の最後の結末   

>でも実は「頭がいい」の定義は、時代や国によって結構変わるんだ。   

 

そうですね。    

 

>たとえば、中国では、20世紀のはじめまで約1300年にもわたって「科挙」というテストが行われていた。   

>今でいえば政府の官僚(国の予算や法律にかかわる国家公務員)を選ぶ試験だね。   

>合格すれば高い地位とお給料が手に入ったが、合格できるのは受験者のほんの一握りだけ。   

>めちゃくちゃに難しくて、競争率が高いテストだったんだ。   

 

中国は難関出身者が幅を利かせる国だったのですね。   

 

>その科挙のテストの出題内容は、おもに「国語」だ。  

 

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 (お) う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。経文など漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北狄 (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。  

 

>とくに重視されたのは暗記力だったが、そのほかにも自分で詩をつくったり、論述できたりと、とにかく国語的能力に特化して求められていた。   

>数学や理科が得意な人は、科挙の時代の中国に生まれていたら「頭が悪い」と思われていたかもしれない。   

>けれども時代は大きく変わった。   

>たくさん暗記ができること、たくさん知識をもっていることには、今の時代においてそこまで価値はない。   

>検索したり、AIに聞いたりすれば誰でもすぐにわかることだからだ。   

>クイズ王、雑学王なんてポジションも、テレビ番組に出るにはいいかもしれないけれど、いずれはあまり見向きもされなくなっていくかもしれないね。   

>知識は大事だ。   

>ないよりはあるほうが断然いい。   

>だが、知識をもっていること以上に、発想力や新しいものを生み出す力のほうがずっと重要視されるようになっているのが今の時代だ。   

 

そうですね。創造力が大切な時代になりましたね。    

 

>知識をベースにAIを活用して新しいアイデアを想像できる人、無関係にみえるなにかとなにかを結びつけて新しいものを生み出せる人。他者と意見を交換しながらどんどん改良できる人。   

>これからの時代において「頭がいい」とされるのは、おそらくこんなタイプだろう。    

>「勉強ができる」と「頭がいい」の違い   

>そういう意味では、「勉強ができる」と「頭がいい」も実は別物だ。   

>学校の勉強が得意なタイプの人たちは、ルールに従い、レールの上を走るのが得意な人が多いだろう。   

 

序列社会のエスカレータですね。  

 

>そういう人は、中高生時代までは結構いいところまでいける可能性が高い。   

>けれどもいざ大学に入り、自分から学びに行く能動的なスタイルがメインになると、それまで有利だったはずの武器があまり役に立たなくなる。   

>学びの範囲が絞り込まれていくと、まんべんなくできるオールラウンダーよりも、その1科目で突出したタイプの人が輝き出すからだ。    

 

そうですね。’好きこそ物の上手なれ’ ですね。   

 

>どっちがいいとか悪いとかではない。   

>そのときどきの学力を測るシステムにマッチするかどうか、という単純な話だ。   

>運よくマッチすれば、もしくはそのトレンド(流行)を正しく見極めて努力すれば、その時代の「頭がいい人」になれるだろう。   

>「頭のよさ」はそれぞれの時代によって変わる。   

>日本の教育は偏差値が評価の基準になっているが、海外の多くは偏差値なんて聞いたことはないんだ。   

>現実には偏差値だけで「頭のよさ」はジャッジできないし、取りこぼしている部分もすごく多いはずなんだ。   

>そもそも世界の天才は日本の入学試験なんて受けていない。   

>本当に偏差値という数字に意味はあるんだろうか。   

 

日本語には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。     

 

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。

 

日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

 

>きみもいったん立ち止まって、「頭のよさってなんだろう?」と考えてみてほしい。   

>じっくりと考え抜けば、「じゃあここから自分はこの時代に、どんな努力をしていけばいいのだろう?」という問いへの答えがみえてくるかもしれない。   

>それでも高学歴は有利?   

>頭のよさは時代によって変わるし、偏差値は絶対的な評価軸ではない。   

>じゃあ今の時代、いい高校、いい大学に進んで高学歴になることに、意味はないのだろうか?    

>そう考える人もきっといるよね。   

>結論からいえば、学歴はまだまだ使えるカードだ。   

 

そうですね。アメリカは学歴社会ですね。   

 

>ただ、そこまで絶対的な切り札にはなりえない。   

>30代、40代と年齢を重ねていくほどに、効き目がだんだんと薄れていく。   

>そんな種類のカードだと考えておこう。   

>その人がどんな人なのか、初対面の第一印象だけではわからない。   

>けれどもそれなりのレベルの大学を試験を受けて卒業しているのであれば、「少なくとも勉強はできるんだな」「受験という壁を乗り越える努力はした人なんだな」という判断はできる。   

>そうした判断材料として、学歴はとてもわかりやすいカードだし、就職活動でも有利に働きやすい。   

 

そうですね。特に序列社会のわが国では日本語会話の為に学歴は重宝していますね。    

 

>同じ大学出身者同士であれば親近感も湧くし、価値観も通じやすい。   

>OB・OG(きみが入学した大学を卒業した先輩たち)のネットワークがあと押ししてくれることもあるだろう。   

 

そうですね。我が国民は自己の序列に対する帰属意識は強いですね。序列協力の得られない海外では日本人の建国はできませんね。      

 

>ハーバード大学やスタンフォード大学のような海外の名門大学は、同窓会をきっかけに大きなビジネスがまとまることだって珍しくない。   

>ただ、20代、30代と働く時間が長くなるほどに、学歴の効力は薄れていく。   

>それよりは「社会に出てからどんな仕事をしてきたのか」が重視されるからだ。   

>外資系企業の中途採用(一度就職した人を対象にした採用)であれば、出身大学のレベルよりも、社会に出てからどんな仕事をしてきたか、どんな実績を出してきたかが重視される。   

>40代、50代と年齢を重ねていくほどに、当然その傾向は強くなるだろう。   

>だからといって、「学歴なんてもう意味がない」とは僕は思わない。   

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。奥が無くて浅はかに見えます。       

 

>現実をみれば、あればあったで有利に働く場面がまだまだ多いからだ。   

>ただし、きみたちの親世代の頃ほどに、学歴は有効なカードではないことも覚えておいてほしい。   

 

そうですね。わが国も国際社会の影響を受けていますからね。   

 

>中学受験はしたほうがいい?   

>最近、都市部では中学受験をする子の数が増え続けている。

>きみは中学受験をしたい?   

>僕は地域差や家庭の事情があるので、「中学受験は絶対にしたほうがいい」とまでは思わない。   

>ただ、もし挑戦できる環境にあるならば、試しに挑戦してみても損はないだろう。   

>試験の結果で合格・不合格が決まるという本番に向かって緊張感をもって学んでいく経験は、学びの基礎体力を鍛える絶好のトレーニングにもなるからだ。    

>中高一貫校に進学するメリットをいくつか挙げるならば、同じように受験勉強をがんばってきた、努力の価値を知っている友人ができることだろう。   

>学ぶ意欲が高い仲間がそばにいれば、くじけそうになっても励まされるし、自分の目線も自然と上がっていく。   

>高校受験をショートカットして、大学受験や課外活動に力を注げるのも大きなメリットだろう。   

>ただし、自分と似たような仲間が集まるということは、公立高校のような多様性が生まれづらいという見方もできる。   

>オリジナリティ(自分らしさ)が育ちづらい、といってもいいかもしれないね。   

 

そうですね。序列競争は同次元の没個性の競争でなければ意味がないですからね。       

 

>また、よく似た仲間たちに囲まれた環境で過ごすと、自分とは異なる属性や背景をもつ人への理解が浅くなることもあるだろう。   

 

そうですね。国際性が無いからですね。井の中の蛙ですね。       

 

>選んだ道を正解にできるかどうかはきみ次第   

>もちろん今述べたような内容に、当てはまらないケースもあると思う。   

>結局のところは運やめぐりあわせ、相性といった本人の努力とは関係ない部分も絡んでくるからだ。   

>ただひとつ、確実にいえるのは、中学受験をすることが絶対の正解で、しないことが不正解というわけではないということ。   

>違うルートをたどった人たちが、同じ大学で合流することもある。   

>僕の中学時代の友人は当時有名進学校に進んだが、学風が合わず、とても苦しそうにみえた。   

>ほかにも、試験というゲームが得意で大学受験もうまくいったものの、なぜ学ぶのかという人生の目的がはっきりしないまま社会人になり、迷っている人もいる。   

 

それは自己肯定感の低い人ですね。無哲学・能天気であるために教養が身に付かない人ですね。        

 

>彼らはまわりの人からは成功者にみえる。   

>でもそんなことはないんだ。   

>一見、華やかにみえる人でも、人生をずっともがいている可能性もあるんだよ。   

>だから選んだ道を正解にできるかどうかはきみ次第だし、ルート変更はどのタイミングでだってできるんだ。   

 

そうですね。臨機応変ですね。   

 

 

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閲覧数59 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2023/10/21 20:40
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