>集英社オンライン >ミスをしない人材が評価される日本社会。あえて学びたいユニクロの「一勝九敗」の経営哲学とは >オピニオン7時間 >打率は低いが「1発」のある長距離ヒッターよりも、「1発」はなくても打率の高いアベレージバッターのほうが高く評価される日本社会。 >その背景には、「ミスしない」ことが求められる「サムライ」の価値観が存在していた。
それは減点法による採点ですね。
>行き詰まりを感じて思い悩む現代人必読のメソッドを、書籍『分不相応のすすめ』から一部抜粋してお届けする。 >みんなに迷惑がかかるからミスは許されない >日本の文化を通じて作られる「分相応を良しとする意識」について、「過剰な集団意識」と「我慢の美徳化」という2つの特徴を紹介してきました。 >もうひとつ、3つめの特徴として、「リスク回避の最優先」があります。 >日本では、子どもの頃の学校や習い事から、大人になってからの職場まで、さまざまな場面に共通して、「ミスしない」を重視する環境が多くあります。 >何か1つのことを特別に得意としているが苦手もある「一芸特化タイプ」よりも、まんべんなく苦手を作らずに何でもこなせる「そこそこ多芸タイプ」の方が、周囲から高評価を受けやすい傾向も強いでしょう。
そうですね。それは総合得点による評価法ですね。国立8科目のようなものか。
>表現を変えれば、打率は低いが「1発」のあるホームランバッターよりも、「1発」は打てなくても打率の高いアベレージヒッターの方が、学校でも、会社でも、認められやすく、褒められやすいのです。 >「10回やったら、9回は失敗するけど、1回は大成功する」人よりも、「10回やったら、失敗は2回だけで、8回はちゃんとそこそこの成功を収める」人の方が、会社内で大事なプロジェクトを任されたり、出世しやすかったりすることは容易に想像できるでしょう。 >ユニクロの「一勝九敗」の経営哲学 >ベンチャー業界は、多産多死が当たり前とされていて、新しく作られた会社のうち、巨大ベンチャーまで飛躍できる確率は、極めて低いものです。 >それでも、運と実力をどちらも兼ね備えて、奇跡的な飛躍を遂げることを夢見て、多くの起業家が挑戦していく業界です。 >また、新しいイノベーションを創ろうとするときも、沢山の失敗を経験することを覚悟の上で挑戦するのが前提となります。 >ユニクロを「世界を代表するアパレル」まで飛躍させた柳井正さんは、新しいことに挑戦すれば10回に9回は失敗する、という「一勝九敗」を経営哲学としていることで有名です。 >※1 積極的に新しいことをやってみて、ダメならすぐに撤退して、10回のうち1回の大成功によって、数多くのヒット商品を生み出して、会社を飛躍させました。 >しかし、日本は「ベンチャー大国」でもなければ、「イノベーション大国」でもありません。 >新興のベンチャー企業よりも、歴史が長く、安定成長を重視する大企業や中小企業が圧倒的に多い国です。
そうですね。日本は老舗の国ですね。
>リスクを覚悟の上で、新しいイノベーションに挑戦するよりも、堅実に、改善・改良を積み重ねていく道を選びやすく、またその改善・改良を得意分野としています。
そうですね。日本人には意思が無い。恣意 (私意・我儘・身勝手) の行為の失敗では議論にならない。
>「一か八かの大成功」は、フィクションの物語や、別世界の話としては面白くても、日本の多くのビジネスパーソンにとって自分事にはなりません。 >なぜなら、自分事である仕事の日常では、「ミスだけはしないで」と言われ続けているからです。
そうですね。日本人の大冒険は漫画・アニメの世界に限りますね。
>美化されすぎる「分相応に生きるサムライ」 >こうした、ミスをしないようにリスク回避を最優先する意識の背景にも、文化的自己観があり、日本の文化や歴史が影響を与えています。 >ここでは、「サムライ」について取り上げてみましょう。 >「サムライ」は、日本の文化の中でも象徴的な存在として広く浸透し、人気が高く、支持されやすい存在です。 >野球の日本代表は「侍ジャパン」、サッカーの日本代表は「サムライ・ブルー」をそれぞれ愛称としています。 >それ以外のスポーツでも、選手が男性の場合には「日本の若きサムライが、世界の大舞台で躍動しています!」と活躍を誇ることがよくあります。 >サムライは、スポーツだけでなく、大河ドラマや映画、漫画やアニメなどのエンターテインメントの登場人物としても人気です。
そうですね。女の場合は ‘武士の娘’ ですかね。
>サムライの出てくる物語では、江戸時代の幕末・明治維新の時期を除けば、基本的に「主に仕えてお家を守る」が正しい道として描かれます。 >苦境に耐え忍び、慎ましやかな幸せを守るため、懸命に生きる姿が良しとされやすいはずです。 >その理由は、サムライの社会は、生き方が固定化されていて、分相応な立ち振る舞いを守ることが、自分の命、家族の命を守ることに直結する時代観だからです。
そうですね。お変わりのないことが何よりなことです。
>失敗したら「切腹」「お取り潰し」
>数百年にわたって続いたサムライの社会では、失敗は、「切腹」で自身の命、「お取り潰し」で家の断絶という、あまりに大きなリスクがありました。 >だから、何よりも失敗しないことを最優先して、自分の立場や周囲からの評価を常に念頭に置き、慎重な判断や行動を取ることが当たり前だったのです。
そうですね。世間の評価が気になりますね。日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。個人にリーズンを求める者がいない。
>サムライの中でも階級が分けられ、江戸時代には200以上の藩がある中で、尾張・紀伊・水戸の三藩は「御三家」と呼ばれる別格の地位にあったり、土佐藩の中では「上士」と「下士」に分けられて明確な上下関係が作られていたりして、家格などに応じた、分相応な立ち振る舞いが固定化されました。
そうですね。わが国は序列社会 (上下社会) で成り立っていますからね。礼儀正しい人間が必要ですね。
>このサムライに肯定的な文化で生まれ育つと、エンターテインメントやスポーツを楽しむ中で、無意識のうちに、分相応に生き、リスク回避を最優先して、自分や家族を守る姿勢が当たり前化しやすくなるでしょう。
そうですね。日本人の礼儀作法は序列作法ですからね。
>失敗したとき、「これは切腹ものだね」「腹を切ってお詫びしなきゃね」などと上司に冗談交じりに言われる人や、スポーツ選手に対してSNSなどで簡単に言ってしまう人が多いのには、こうした背景があります。 >――― >※1 DIAMOND Chain Store online「ビジネスは「一勝九敗」 ファーストリテイリングを世界的大企業に導いた“柳井哲学”」を参照。 >必要のない「みんなに悪いことをした」という意識
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。ただ悪い事だけが世間に伝わる。兎角この世は無責任。
>本当はおかしい日本の部活動 >文/永井竜之介 (略)
日本語の文法には階称 (言葉遣い: hierarchy) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。だから難関出身者たちが社会で幅を利かせている。わが国が学歴社会であるというのも、実は序列社会の言い換えに過ぎない。だから、わが国の学歴社会は学問の発展には何ら貢献していないことを知っている必要がある。 順位の比較は没個性的でなくてはならない。だから、序列競争の励みは個性の育成にはならない。
日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列社会の外に出たら序列なきところに礼儀なしになる。礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて、人々は堅ぐるしい日常生活を送っている。こうした観念は天皇制・家元制度・やくざの一家の構造にまでつながっている。
日本人は序列の存在を知れば、それが一も二も無く貴いものであると信ずる共通の序列メンタリティを有している。その程度は序列信仰の域に達している。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の単なる表現に過ぎないため、個人的精神的には意味がない。下々の衆は上々の衆の祟り (仕返し) を恐れて神妙にしている。上々が無哲学・能天気である事については、下々にとって何ら気になることではない。だから、日本人の尊敬と序列作法には浅薄さが付きまとう。
日本人の政治家にも、政治哲学がない人が多い。だから、我々の未来社会の有様を相手に言って聞かせる術がない。それは非現実 (考え) の内容を盛り込むための構文が日本語に存在しないからである。序列人間は人間の序列を作っていて、上位の者 (先輩) と下位の者 (後輩) の間に自分を差し挟むことにより自分たちの存在をウチソト意識として確認し合っている。だから、自己の所属する序列に並々ならぬ帰属意識を持っていて義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことに懸命になる。そして、定刻通りに帰宅しないなど義理の仕事にやりがいを感じている。無哲学と序列メンタリティの相乗作用により派閥政治は無くならない。周囲の序列仲間が自分たちの序列に対する貢献度を評価する。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが日本人の人生における楽しみである。だが正一位の獲得は難しい。
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