2025年11月07日(金) 

 

>シュフーズ   >宇多田ヒカル、一部週刊誌の「クマ被害」に乗じた”曲解させる報道”に苦言『そんな手があるんかい…』『やめてほしい』…ネットでもコメント殺到「そんなことある?と思って確認したらマジで酷すぎた」「オールドメディアはネタがないと自分たちでネタを作り始めるのかぁ…」   >シュフーズの意見・   >4時間・   

>宇多田ヒカル、一部週刊誌の「クマ被害」に乗じた”曲解させる報道”に苦言『そんな手があるんかい…』『やめてほしい』   

>5日、シンガーソングライターの宇多田ヒカル氏(42)が自身のXを更新。   

>一部週刊誌が報じた「クマ被害」に乗じた曲解させるような報道に対し、苦言を呈しました。   

>宇多田氏は現在日本でクマ関連の報道が出ており、それに乗じて自身の過去の発言を週刊誌が引用し、その記事がYahooなどで紹介されているようであると触れました。   

>記事の見出しを読んだ読者が「クマが可哀想で泣いてる」「ひどい!ハンターに天罰が下ればいい」と宇多田氏に対して批判的な意見を述べていると発信。    

>宇多田氏は、「『え??十年以上前とはいえ、んなこと言うわけないよね』→念のため記事読む→『あれ?こんなにはっきり書いてある、まさか言ったのか?!』→スタッフに確認→SNS上のランダムな人たちの過激な発言を、そうとは明記せずに私の写真の下に掲載、そのまま私の話やほんとの引用が始まる、という構成だと判明」と解説しています。   

>一部のメディアでは2006年に宇多田氏がリリースした「ぼくはくま」にからめて、当時のクマ関連の投稿を紹介。   

>その一方で、宇多田氏以外の一部ネットユーザーたちの書き込みである、駆除対象のクマへの「かわいそう」といった同情の声や、ハンター批判とも取れる声も原稿冒頭で紹介し、併せて宇多田氏の写真を掲載する構成の記事をアップしています。   

>このような記事に宇多田氏は、「そんな手があるんかい 本人の私でも騙されそうになったわ」「ネットや週刊誌の情報鵜呑みにしてるのは情報に弱い少数派が目立ってるだけだと信じてるけど、にしてもこういう世間の憤りを関係無い有名人に向けようとするのやめてほしい 久々に本当の呟きのようなポスト」と投稿しました。   

>宇多田氏の投稿などに対し、ネットではさまざまな声が上がっています。   

>このニュースに寄せられたネットの声   

>・「オールドメディアはネタがないと自分たちでネタを作り始めるのかぁ…」    

>・「そんなことある?と思って確認したらマジで酷すぎた」   

>・「もはや根も葉もない話というのも情報として入ってくるから恐ろしい」    

>・「SNSなんて誰でも簡単にそれっぽく作れちゃうから本当問題だよ」   

>・「メディアの倫理観ってどうなっているんでしょう」   

>メディアが行う情報の切り抜きなどに対し、厳しい意見が非常に多く上がっていました。   

 

日本のメディアは相変わらず実行放送・現状報告の内容しか記事にしませんね。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.  日本人には現実 (現実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

英米流の高等教育機関に席をおいて自己の個人的な見解を論文にて明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

日本テレビの単独インタビューで「このままでは日本人は滅びる」と日本の将来に危機感をあらわにしていた、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長。[2024年 10月] 10日の会見でも「日本人同士のなれ合いみたいなことは廃止すべき」と改めて警鐘を鳴らしました。

日本人は‘なあなあ主義’ で話をする。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。‘以心伝心・阿吽の呼吸・つうかあの仲’といったところか。     

 

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」    

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)。(引用終り) 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。、、、、、日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

 

 

 

 

 


閲覧数32 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2025/11/07 03:52
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■最近のアルバム
■最近のファイル
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=863194