時代は進む。憲法改正は必要である。
和歌・俳句は文章でないから、勝手な解釈も許されるのかもしれないが、文章である憲法の内容の勝手な解釈は許されるものではない。日本人は、文章で考えを固定しようとするのではなく、解釈で考えの固定を解こうと解釈改憲を企てるのは大それたこと。これは国語の問題である。日本語の問題は、アメリカの圧力の下でも解決しない。
議論ができないから、議論は尽くせない。決議をしようとすれば、国論を二分したまま、数による決着しかない。議論の仕方を覚えることが大切。世界観を持つことが必要である。
民主主義と言いながら、民意を問うことを嫌う。白か黒かの決着を嫌い、うやむやな進行へとなりがち。厳密な思考は無理なので、あいまいが主流になる。むなしい。
贖罪意識が、軍備の邪魔をしてきた。贖罪は、恣意 (私意、我がまま、身勝手) の自由を邪魔するものとしか考えられないようだ。深い反省に至ることもなく、和解・追悼・供養を強調する。過去時制の文章内容ができないので、過去の内容の分析は難しい。過ちは繰り返しますから、安らかに眠ってください。
日本が外国で戦争に巻き込まれると言うが、受動オンリーの行動をするために自衛隊を外国に派遣するのか。我が国の意思を世界に示すのではないのか。再度、自己が望むことなく、国が危機に陥るという結果になるのか。日本人には恣意が有って、意思がない。だから、受動的であっておとなしい。優柔不断・意思薄弱の状態は改められないという前提に立っているのか。責任者は出さない方針になっているのか。
安倍首相は、日米同盟を21世紀の '希望の同盟'となすことができるか。わが国民には、'夢と希望' が無い。無哲学・能天気の国民は、アメリカ国民と '同床異夢の同盟' をなす事になるであろう。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。'上とみるか、下と見るか' の判断がなければ、日本語会話は成り立たない。序列観念は、日本人にとっての強迫観念である。下と見られる雰囲気を嫌い、恥と思い、自然と向上心がわいてくる。序列制度は権威主義である。右翼団体を結成して、反動主義者・国粋主義者 (超国家主義者) となる。下の者ほど割の悪い制度である。人間平等主義ではない。外国人に容認されないところが序列制度の泣き所である。
愛国心は、自国に味方する向上心となる。国際社会の中で、名誉ある地位を占めたいと思う。日本が戦時中に行った残虐行為の過ちを告白することには耐えられなかった。だから、歴史修正主義者になった。やむに已まれぬ大和魂 (恣意) は世界の孤児を育てるか。
・> 「こんなに世界から愛されている日本」、「イギリスに住んで確信! 日本はイギリスより50年進んでいる」、「日本人に生まれて、まあよかった」など、日本では最近、自国を自画自賛する内容の本・雑誌が増えている。これまで、「奥ゆかしい」、「謙虚」と自負していた日本人がこの種の本を書いているのは、中国や韓国などの隣国の急速な台頭を背景に、「アジアナンバーワン」との自信を保つためで、「自画自賛症候群」を患っているとの声が上がっている。環球時報が報じた。
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