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天皇陛下公式訪問にみる日英関係の過去と未来
サセックス大学(英)
豊田 玲子
【とよだれいこ】
如水会の皆様いかがお過ごしでしょうか。はやいもので、英国留学生活も9ヵ月を過ぎ、最後の試験も無事に(?)終え、あと1週間でイギリスを離れることとなってしまいました。この期に至るまで皆様にお便りを差し上げなかった御無礼をお許しください。
さて、つい2週間ほど前のことですが、天皇陛下がイギリスを公式訪問なされました。こちらでは、普段、日本関連のニュースをそれほど耳にすることがないのですが、公式訪問中の4日間は毎日のように、そのことに関する話題がニュース番組のヘッドラインを飾っていました。しかし、実際のところ、メディアの注目を浴びたのは天皇陛下自身の行動ではなく、戦時中、日本軍の捕虜となった退役英国軍人達の、補償および公式謝罪を求める抗議のデモンストレーションでした。彼等とその支持者達は、天皇陛下訪問が近づくにつれ、「補償なしに、訪問はない」といったスローガンを掲げて強く今回の訪問に反対の意を表明してきました。ブレア首相が国をあげて暖かい歓迎を国民に期待するということを訪問直前に繰り返し訴えた一方で、彼等、元戦争捕虜達は、宣言どおり、訪問初日に、天皇陛下とエリザベス女王のパレードの列に背を向け口笛をふき、連日の示威行動が始まりました。
実は、この元捕虜イギリス兵の補償問題の話題を耳にしたのは今回が2度目でした。1度目に聞いたのも、日本ではなく、ブレア首相が今年の初めに日本を訪問したときの、こちらのメディアの報道でした。そのときまで、このような戦後補償問題がいまだに日本とイギリスのあいだに存在するということすらまったく知らなかったわたしとしては、初めて目にした英国人捕虜の痛々しい映像は、かなり衝撃的なものであり、この話題が政治や経済の話よりも大きく扱われているということは、驚きでもありました。
元戦争捕虜の戦後補償問題は、公式には、英国政府と日本政府との間で決着がついたことになっており、実際に、多少の賠償金も支払われました。しかし、個人に支払われた賠償金というのが、本当にとるにたらないような金額であり、他の元連合国の戦争捕虜に比べても数十分の1だったことと、日本軍の捕慮に対する扱いが、非人道的であったと言われていることが、特に、イギリスの退役軍人たちをして、数10年間運動を続けさせることになったようです。彼等の抗議の対象は、必ずしも日本政府だけではなく、そのような合意をしたイギリス政府にも向けられているものの、イギリス政府の立場は、原則として外交的に問題は解決済みということで、新たな補償を求めることは政府としてはしないという方針をとっています。
今回の訪問での、ブレア首相の決まり文句は「忘れはしないが許しはする」(We do not forget but forgive.)でした。この言葉は、同時に、過去をいつまでも引きずるより、現在のよい関係に目を向けるべきだ、というメッセージを含んでいます。この良い関係というのは、特に、日系企業が何万人の雇用をイギリスに産み出しているといった、経済的なものをさすのですが、加えて、文化的な交流をも意味しています。たとえば空手がとても一般的で、人気があること、日本食が特にロンドン子の間ではやっていること、若者の「TOKYO」に対するイメージが「COOL !」(かっこよい)であることなどなど、若い世代に限って言えば、日本に対する嫌悪感はほとんどないように思います。かえって多くの日本の若い人達が、たとえばロンドンやパリに対して抱くのと同様な、イメージ(必ずしも現実を反映してはいない)に基づいたある種のあこがれのようなものさえ感じます。(その一方で、「ゲイシャ」「サムライ」「キモノ」といった古典的なステレオタイプ的日本像というのも並存してはいるのも事実です)。
過去の清算にあくまでもこだわるか、現在と未来の友好関係に免じて過去を水に流すか。この2つの主張はいつまでも交わることのない議論にも思えます。同じ英国人であっても、現在の良い関係が悪化することによって被害を被る人たちがいる一方で、今だに50年以上前の悪夢に苦しめられている人たちがいるという事実は、戦後補償という、高度に政治的な問題と相まって、物事をさらに複雑にしているようにも見えます。
しかし、いかにこの問題を解決するのが難しいとしても、それは、問題を無視していいということは意味しないでしょう。少なくとも、わたしは、中高の歴史の授業でこの話を聞いたことも、日本のメディアがこの問題を取り上げたのをみたこともありません。現に、宮内庁が、今回の元戦争捕虜たちの抗議行動を大きく取り上げないように各マスコミ関係者に要求した、ということもこちらの新聞にかかれていました。ほとんどの日本人がこの元英国軍人戦争捕虜補償問題の存在すら知らないという状況で、どのような「友好関係」が築けるのでしょうか。”
一方で、たしかに、近年日本の学校教育における歴史教科書は大きく変わってきているようです。過去の重い事実を「知ること」から、真の友好関係を築くべきなのではないか、というのが、一連の天皇陛下公式訪問にまつわるニュースや討論を見たあとに感じた、わたし自身の率直な意見でした。
末筆になりましたが、英国留学という、非常に貴重な経験をする機会を与えて下さった如水会の皆様、及び、明治産業株式会社の皆様に、深く御礼申し上げます。(『如水会々報』98年8月号所載)