今日は浜松大空襲から68年目の追悼式が浜松駅前で行われたそうです。私の 祖父母は当時浜松の元城町あたりで紳士服店を営んでおりましたが、この大空襲のなかを、二人で逃げ回ったそうです。学校が倒れてきそうになったり、防空壕の中で生まれたばかりの祖父の甥の耳をふさいで爆弾の音から守ったり、また目の前で近所の子供が爆撃を受けたところを見たり、祖母が水道管の破裂した溝に落ちて、祖父が手を引っ張って一命を取り留めたそうです。戦後は数ヶ月前から母「一人っ子」を疎開させていた、掛川の曾祖母の家に母と祖父の妹夫婦と9人の其の家の子供と住むことになり その後10人目の末っ子が生まれて、そのまま大家族で住み続けて、母がお婿さんの 私の父と結婚するまで、大変な生活だったと私に話してくれました。その後昭和31年に私の弟が生まれて其のときは8人家族になりました。現在は主人と2人きりで、気楽な毎日を過ごしておりますことを今日の追悼式を通じてしみじみ感謝させて頂きました。 |