この23,24日関西へ行ってきた。23日は大阪で近畿脳腫瘍病理検討会の第100回記念大会に呼ばれて講演した。この大会では「世界に活躍する日本人」と題して、脳腫瘍病理でワールドクラスの業績があった人を招いて、研究の裏話をしてもらいたいとのことだった。裏話のほうが表の話より若手研究者の参考になるだろうとの会長の目論見であった。確かにその通りであり、この日、脳腫瘍の病理をやっている主だった人が一堂に会したものだ。
ボクとしては自分がやってきたことが認められたわけであり、晴れがましく、スーツ姿になって、気分良く9時過ぎの新幹線に乗った。天気は秋晴れで、富士山がよく見えた。生きていればいいこともあるんだなあ、と感じていた。
会場は大阪駅のホテル・グランビアで、受付に行くと、胸に来賓用の赤い飾りを付けられてしまった。
ボクが発見者ということになっているclear cell ependymomaは1982年(当時ボクは39歳)、ボクも手術に加わった22歳の男性例で、病理部の診断はoligodendrogliomaだった。だが、いくつかの点でボクはその診断に納得がいかず、病理部に行って毎日のように顕微鏡でその症例の組織を見ていた。ある日、病理部の教授が通りがかり、「熱心に見ているねえ。見せてごらん」と言ってくれ、見てもらったら、「乳頭状構造があるねえ、これはependymomaじゃないの」と言われて(貴重なサジェスチョンであった!)衝撃を受け、それから免疫染色、電子顕微鏡と確認作業をおこない、ependymomaであることが決定的となった。つまり、ひじょうに誤診されやすい腫瘍なんだが、このことを知っていて、ちゃんと確認作業をやれば正しい診断が得られることが判明したのだった。また、このタイプのependymomaはこれまで人類に知られていなかったので、論文にして、1993年のWHOの脳腫瘍分類に新しい腫瘍型として加えられたわけだ。いろいろの脳腫瘍があるが、日本人が提唱したものがWHO分類に加えられたのはボクが初めてだったのである。
講演では、この腫瘍の報告者はボクということになっているが、ボクは運が良かっただけなんです。実は多くの先輩方の貴重なサジェスチョンと協力のおかげなのです、ということを強調した。事実その通りだったんだから。
自分の話は無事に終わり、他の講演者の話を楽しみ、懇親会となり、感謝状が渡され、記念写真となった。あとは飲み会、飲み会でかなり飲んで、部屋に帰るなりバタンキューだった。恩師とも言うべき堤 啓先生もおいでになっていたが、高齢でもあり、早めにお帰りになった。
この日は、極端に言うと人生最大の晴れ舞台の日と言ってもいいかもしれない。いいことがあって、愉快な1日だったナア。
新幹線内の広告。「士」かあ、写真の若造より、今日に限って言えば、俺の方がカッコいいんだゾと思った。
その日の公演予定の印刷物。
それぞれの強者が集結。