全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
英語には時制がある。現在以外に、過去と未来の時制を使うことにより非現実の内容を文章に作ることもできる。
日本語には時制がない。現在を語る文章のみがある。日本人には、非現実の世界を語る術がない。非現実は、この世のウソでしかない。
英米人には、’我々は何処から来たか、何者であるか、どこに行くのか。’という哲学の命題がある。これらの命題は、過去・現在・未来の時制と関係している。
彼らには、複数の世界を比較検討する世界観がある。だから、’我々は、世界を変えることが出来る。’と考えることができる。
日本人の世の中は、相変わらぬ年中行事の繰り返しである。これが、天下泰平の世の中である。
日本人には、世界を変える意思もなければ、変える可能性を考えることもできない。閉塞感がある。
英米人には哲学がある。理想社会の建設が考えられる。英米人は、理想社会の建設を目指した議論ができる。
日本人は、無哲学・能天気である。理想社会の提示はない。消去法で答えて、自己の考えを伝えたことになると思い込んでいる。
日本人が、あえて議論をすれば、不毛の議論に終わる。’ああでもなければ、こうでもない’ と力説する。行き着く所 (結論) がない。時間の浪費にしかならない。だから、問答無用である。
議論ができれば、暴発を避けることができる。現状の打開策も見つかる可能性が出てくる。
主張の内容が有意義な (結論のある) ものであることも必要なことである。
漫画・アニメは、非現実の中の真理ではなくて、現実の中のウソである。だから、いくらやっても真面目にはなれない。信なくば立たず。子供の様なものか。
日本語ソフトは、日本人の脳の創造力を十分に発揮させることができない欠点がある。英語の習得により、脳の機能を補う必要がある。
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。
日本人は外交を知らない。(引用終り)
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/