>民主党の馬淵澄夫選対委員長は[2013/10/06]6日、フジテレビの番組で、2011年12月に当時の野田内閣が出した東京電力福島第1原発事故の収束宣言について「あのときどういう状況で判断したのか、民主党としてしっかり検証し、間違いであれば間違いだとしっかりおわびする」と述べた。
>同党は現在、福島第1原発の汚染水漏れ問題をめぐり、政権を担当していた当時の対応を検証する作業を進めている。[時事通信社]
日本人は恣意の人である。意思の人ではない。
意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制がない。それで、日本人には意思がない。
恣意の人の発言では、リスクは過小評価される。最悪のシナリオを想定することは難しい。
恣意 (self-will) は ‘あらまほしき’ (あってほしい) 内容であって、筋の通った想定 (supposition) ではない。
縁起の悪い事は口に出してはいけない。’日本は負けると言ってはいけない。それを言うと日本は本当に負ける。’と、私は戦時中にたしなめられたことがある。きっと、言霊の効果が発揮されるのであろう。
日本語には時制がない。
英米人でいえば、現在時制のみを使って話す人のようなものだ。
‘勝つ’ か、’負ける’ か、どちらを取るか。だが、現実は見ればわかる。現在時制の文章内容には筋が立つ。
だが、現在時制で話される未来の話と現実の話は頭の中で衝突して、未来の内容は葬り去られる。
‘そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなってはいない。’ということで、相手にされない。
だから、日本語脳では洞察力を働かすことは難しい。非現実 (未来と過去) の内容に議論で決着をつけることは難しい。
我々は非現実を見ることはできないので、議論で決着がつけられない場合は、一寸先は闇である。
恣意の人は非現実に関して出鱈目の発言をする。’見ることが出来ないのだから、それでも構わない’ と思っている。
‘だって、本当にそう思ったのだから仕方がないのではないか’ と言い訳する。
思い込みである。信念である。必勝祈願のようなものか。
文章がなければ、筋道のある考え方はできない。歌詠みのようなものである。
日本人は未来時制を使った筋の通った考え方を知らない。
まだ、子供である。ナウな感じはするが、知恵の深さが見られない。
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