昨日、世界陸上でハンマー投げをずっと見ていた。室伏広治はいまいちふるわず、優勝したのはベラルーシのチホン選手だった。 僕が感心したのは、優勝が決まった後、選手同士が抱き合って互いの健闘をたたえあうシーンだった。チホン選手が国旗を持ってメインスタンドに凱旋したとき、室伏も共に喜びを分かち合っていた。これは、開催国の代表選手としてのお付き合いではなく、古い友人として心から彼の3連覇の偉業に敬意を払っていたからだったようだ。 テレビの解説者はいいことを言っていた。「お互い敵同士ではなく、ライバルなんですから」、と。 そう言えば、各国のハンマー投げのトップクラスの選手達が一緒に合宿をして練習したということを聞いたことがある。室伏も参加していた。なるほどなあ、そこまで行くと、ライバルを越えて友人なんだなあ、と思ったものだ。ライバルなら何とか相手に勝とうと秘密にしておくこともあるだろう。ところが、一緒に練習すれば、お互いの疑問や悩みを相談して一緒に解決していくことになるだろうし、相手の実力を高めてしまうこともあるだろう。そんなことは承知の上で一緒に合宿するのはなぜか? それは、自分だけが勝てばいいというレベルでは理解できない。勝ち負けを越えて、もっと上の高い理念があるはずである。同じ人間として、個々の選手が最高の力が発揮できるようになるために、お互いが意見を言い合って助け合う、という考えなのではないだろうか。また、ハンマー投げという競技あるいはアート(?)の完成のために共に手を携えていこう、と。競技の結果としての順位は、本人の素質、努力、環境、運、などの結果なんだから、結果は結果として潔く認めよう。いや、友人として、喜んであげよう、というわけである。同じハンマー投げという競技に打ち込んでいる仲間として、長い間に友人関係・仲間意識が生まれてきたんだろう。 ここまで考えると、解説者のライバルなんですから、というのはやや違うようにも思える。切磋琢磨する仲間なんですから、または、友人なんですから、と言ってあげてほしかったな、と思う。で、僕としては、ウウム、これこそ真のスポーツマンシップなのではないか、と感じた次第だ。 いいものを見た、と思った。 テレビのアナウンサーや解説者は室伏への期待や、成績が期待はずれに終わったことなどをクドクドと言っていたが、それは的外れのムダなおしゃべりだった、と言わせてもらおう。もっと、見るべき所を見なさい、そして、報道しなさい、と言いたい! |