実はフライリゾート蓼科に行く前日、僕は忍野で釣りをした。忍野で4時頃から8時まで釣りをして、忍野の民宿に泊まり、翌日蓼科に向かったわけだ。忍野で釣りをしたときに思いもかけず嬉しいことがあった。
リバーズエッジで「瀬がいいですよ」と聞いていたので、金田一下に入った。ライズを待っているとカゲロウがたくさん飛び出したので、ネットで虫を採集したりしていた。すると、10メートルほど下流側にいた釣り人が近づいてきて僕に話しかけてきた。60代のかっぷくのいい人だった。
「よくお見えになりますか?」
と聞かれ、
「はあ、以前はよく来ていたのですが、最近は時々で、今年は今日が初めてです。オタクはどちらからですか?」
「東京、江戸川です。オタクは?」
「私は相模原からです」
「え、相模原?それじゃあ、もしかしたら川野さんですか?」
「はい、そうです」
とバレてしまい、そのK子さんという方と用語辞典の話で盛り上がってしまった。K子さんはその後また10メートル下流側に戻っていったが、しばらくして再び近づいてきて、
「あのう、ちょっと変わったフライボックスを江戸指物師に作らせたものですから、川野さんに差し上げたいのですが」
と言いながら布袋に入った木目の美しい箱を見せてくれた。蓋はね、こうやってずらして、起こすと立った状態に固定できて、風よけになるんですよ、私はトンボが好きなので、トンボ模様の江戸小紋で袋を作ってもらったんですよ、と説明してくれる。
それはよく出来ていた。量産品ではなく、特注品で、100%手作りの逸品であった。制作者は深川で箱幸をやっておられる藤田さんという方だそうだ。
「こんな立派な物、いただけません」
と辞退したのだが、どうしても上げたいとおっしゃる。しかたなく、
「それでは遠慮無くいただきましょう。その代わりと言ってはナンですが、私の本が最近改訂されて出ましたのでそれをお送りいたします」
ということになってしまった。K子さんの住所をうかがっているとき、K子さんのお父さんは相撲の井筒部屋を作った生粋の江戸人であることも話してくれた。
で、そのフライボックスの写真をお見せしよう。
僕には指物の良し悪しはわからないが、釘や金物をいっさい使わずに作られた箱は美しいと思う。僕の宝物がひとつ増えたのだった。今度外国に行くときには持って行って、向こうの釣り人に見せて日本自慢をしてもいいなと思っている。