■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=335103
2010年05月23日(日) 
 僕の人生の中核となってきたのは①脳外科、②脳腫瘍病理の研究、③フライフィッシングの3つだった。その中で、2000年に大学を退職した後は手術もしていないし、脳外科の現場からは離れたということになる。ま、町医者としてやっているので、ドクターGになったと言ってもいいだろう。②と③は今も現役で続けているつもりだ。
5月20-22日、大阪で脳腫瘍病理学会が行われ、参加した。この会には28年前に発足した当時から出ているし、知り合いだらけでもある。今は理事にまつりあげられ、最年長者の一人になってしまったようだ。
 今回はとても印象的な出来事があった。僕が発見して論文にしたクリアー・セル・エペンディモーマ(clear cell ependymoma)という脳腫瘍がある。論文にしたのが1983年で、1993年発行のWHOの脳腫瘍分類には新らしい腫瘍型として加えられた。これは日本人として初めてのことだったので、僕は大いに誇りに思ったものだ。そして今回の学会で、その論文の引き金になった最初の1例とまったく同じ症例に遭遇したのだった!患者さんの年令、脳内の腫瘍の発生場所、CTスキャンの画像、そして病理組織所見まで、うり二つだった。神の成した技かと思いたくなるような事象であり、僕は信じられない思いがした。
 僕の発見した腫瘍は診断が難しく、受け入れられるのには時間がかかったものだ。よく見られる別の腫瘍にとても似ているので、脳腫瘍病理の専門家でさえもそちらの診断を下してしまう。正しい診断に至るためにはかなりの勉強と注意深い観察が必要なのだ。だが、発表して28年がたち、ようやく脳腫瘍病理の専門家の間では受け入れられ、高い評価を受けるようになってきたようだ。
 そんな下地があったところに、大阪での”この症例の出現”であった。その症例のプレゼンのあと、僕は手を挙げ、発言した。これまでの僕の思いを一気に吐き出すように、言いたいことを話した。10分以上、話したかもしれない。僕は
「これぞクリアー・セル・エペンディモーマのビューティフル・ケースです。」
とついつい英語が出てしまった。
 セッションの後の休憩では数人の人から、僕の発言がすばらしかったと褒められた。ある人は
「いやあ、やっとこの腫瘍のことがよくわかりました」
別の人は
「これまでの疑問が完全に消えました、ありがとうございました」
と言ってくれた。
 僕が乾坤一擲の思いでまとめた事象が、28年たって脚光をあびたようなできごとであった。

 今回の大阪の会ではね、会長さんがはりきって会をもりあげるしつらえをしていた。大会前日の会長招宴には京都から呼んだ舞妓さんが踊り、酌をして周った。これは盛り上がったなあ。会場は大阪中央公会堂という大正時代に作られた由緒ある建物だったし、大会の懇親会には今売り出し中の”いちむじん”のギター演奏もあった。これも良かった。

 帰りには新大阪駅でおみやげに”赤福”を買った。僕はこのお菓子が好きだし、何年か前に問題を起こしたが、今はもう大丈夫だろう。
 新幹線では窓際に座り、夕暮れの闇の中に浮かぶ電灯や広告が飛び去っていくのを心地よい疲れを感じながら眺めていた。うむ、今回の学会は記念すべきものになったな、と思った。そして、生きているといいこともあるもんだとも。






閲覧数474 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2010/05/23 20:07
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
狂四郎さん
[一言]
■この日はどんな日
ほかの[ 05月23日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み