今日、M木さんという高令の男性が外来にみえた。僕のクリニックで長く見ている人で、比較的落ち着いていたんだが、数日前から痰が増えて困るという。もともと肺に持病を抱えている人だが、頭はしっかりしている。診察すると脱水があり、肺には痰のたまった音がしていて、指の爪の色は紫色になっていた。念のためパルスオキシメーターで測ると酸素飽和度は70パーセントと極めて低かった。胸部レントゲンでは肺炎の像があり、胸水が貯まっていた。 「これは、肺炎です。脱水もあるし、入院ですね」 と僕が言うと 「入院!それだけは嫌です」 と言う。 「だけど入院しないと直りませんよ。このままだと命にかかわりますよ。それでもいいんですか」 「いいんです。この前入院しましたが、入院はもうこりごりです。私はもう92なんですよ。私より上の歳の人はみんな死んでしまっているし。入院だけは絶対嫌です」 ときっぱりと言う。 僕はハタと困った。医者の立場としては入院してもらわないと困るんですが、M木さんも子どもじゃないので、無理矢理入院させるわけにもいかないし、自分の事は自分で決めてもらっていいんですが、奥さん、本人はこう言っていますがこれでいいんですか、と僕は付き添ってきた奥さんに聞いた。奥さんは、本人がそう言うんでしたら、仕方がありませんと言う。 「ウム・・・」 と僕は腕を組んで考え込んでしまった。しばし、診察室に静寂の時間が流れた。入院の何が嫌なのかは言ってくれないので理由が判然としないが、二度と入院はしないと本人は決めている。僕の頭の中には様々な思いが駆けめぐった。入院させないで死なせてしまったときの後悔、トラブルの数々、などだった。だが、結局は本人の意志が優先されるべきだと思い至った。本人の意志を証明する奥さんもその場に居たわけだし。 M木さんはまだ食事がとれるし水も飲める。今少しの時間の余裕があるだろう。 「わかりました。では、入院ナシでいきましょう。それじゃあね、水分を十分取ってください。ポカリスエットを1日に1リットル以上飲んでください。食事もできる限りとって。しっかり咳をして痰を出してください。良く効く抗生物質を2種類出しておきます。具合が悪かったらすぐに来て下さい」 ということになった。ま、連れてこられなければ往診をしようと思っていた。 いやあ、開業以来、これほどまでに自分の意志を強固につらぬこうとした人は居なかった。死期を悟って、自然に死にたいと思っているように見えた。 確かに自分の死にざまを自分で決める権利はあっていいのだろう。M木さんは強い意志の持ち主だと感服したものだ。まいった、まいった。 |