3日の水曜日、久し振りに朝から晴天で気温も上がるらしく、ヘラブナ釣りに六倉に行った。この日は人が多く、車は少し離れた所しか駐車できなかった。新しく作られた桟橋の端の席が空いていたのでそこに座った。 1メーター半の宙釣りを開始した。これがなかなか釣れず、だんだん、タナを深くしていった。ときおり釣れるが、続かない。鉤とハリスを小さくしたり、餌を変えてみたりしたが、大差はない。隣の釣り師はコンスタントに釣っている。見ると約2メーターの宙だった。おまけにアタリがあっても右手が動かず、見送ってしまうことが続いた。なにか、気分がイマイチ、釣りに集中していない感じだった。 考えてみると、ボクの長年の同級生の友人が亡くなり、月曜には通夜があった。彼とはそれほど頻繁な交流は近頃はないが、事ある毎に相談した仲の良い友人だった。大学の紛争時代の同志でもあった。彼は外科医で、ある病院の院長を長くやり、昨年、大腸癌になり、肝転移・肺転移の手術も含めて7回も手術を受け、遂に先週末帰らぬ人となった。ボクは通夜にも出たが、悲しいというより、何か力が抜けたような感じになってしまった。同級生が死ぬというのは響くなあ。まだまだやりたいことかあっただろうに・・・。 どうもへらぶな釣りに集中できないのはそのことのようだった。結局、釣れたのは7-8枚で、本当なら20枚以上は釣れたはずなので、こんな時はゼンゼン釣れなかったような気分になってしまうものだ。 ヘラ釣りはフライフィッシングと同じで攻めの釣りであり、アタリには瞬間的な合わせが要る。アタリがあってやおら竿を上げてももう遅い。アタリがあったら、自動的かつ反射的に右手が合わせをしなければいけない。いわば、心技体が一体となって初めて釣れるわけで、その内の一つでも欠けると釣れない。今回のボクには心が欠けていたいたようだった。 |