山村 聰著「釣りひとり」を読んだ。山村 聰(1910-2000)は、よく知られた映画俳優であり、いろんな釣りをやったが、最終的にはへらぶな釣りにのめり込んだ。 この本は面白い。とてもよく書けていて、日本の釣り文学のベストテンにはいるだろう。へらぶな釣りの話が多いのはもちろんだが、へらぶな釣りを越えて釣りそのものの本質にせまっている。 印象に残ったところをあげておくと。 ”本来、釣りはひっそりとたのしむべきものであり・・・” ”それにしても、釣りというのは、いったい、何なのだろう。一般には遊びである。本人が楽しければ、それで十分なのかも知れない。人間には、それぞれ本業があり、本業の道は、きびしく険しい。その息抜きが、遊びであり、レジャーであるにちがいない。 中略。 遊びも深入りすればする程、奥がひろく、たのしみ方も、いよいよ貪欲になって行く。このことは、究極のところ、人間の生き方に直結してくることで、本業と遊びをきっちり分けた形では、そのどちらも正しく捉えることはできまい。 中略。 遊びは必ず本業にはね返り、本業はまた遊びを規定するのである。釣りは、どうしても、一種の人生哲学に行きつかざるを得ない。釣り自体が、遊びを越えて、その人の人生になり得るのである。本人がそれを意識しなくとも、事実が、そうなっているのである。遊びが愉しみになるのである。 「四の五の言うこたあねえよ、たかが遊びじゃねえか」などと、釣り師はよく放言する。こういう人は、 「四の五の言うこたあねえよ、たかが人生じゃねえか」 と放言して慮らない。余程の、禅師、達人のたぐいであろう。” さらにこの本で特筆すべきは ”名竿「孤舟」の秘密” ”へら竿のすべて” の項だろう。へら竿に関してこれだけ深く踏み込んだ記述は貴重かつ読み応えがあり、へら竿だけではなく和竿を扱う人にとっても貴重な資料にもなるだろう。 |