翌日の早朝、ミズーリ川に向かった。鱒釣り師がミズーリ川と言う場合にはホールター・ダム以下の40マイルほどのテイルウォーター部分をさす。僕にとって初めてのミズーリ川であり、2日間ガイド付きの釣りをしてその印象だが、結論を先に言おう。すばらしい川だった!水質が良く、水生昆虫が多く、ライズも多い。鱒は健康で大きい。流れは緩やかで、川幅が大きいのでのびやかな釣りができる。分かりやすく言うと、ヘンリーズフォークをもっと緩やかな流れにして川幅を3倍にしたと思えばいい。シルバークリークの川幅を20倍くらい、忍野桂川の30倍と思ってもいい。道路からのアクセスも随所にあってウェーディングで釣りができる。そしてもっとも贅沢な釣りはガイドを雇ってボートで下りながら釣るものである。その欠点と言えば、それなりの費用がかかることだろう。ガイド付きの釣りは2日間がセットになっているので、2日分のガイド料+1泊+チップで1000ドル弱の出費となる。安くはない。いいグラファイト竿が買えるし、安めのバンブーロッドが買える金額である。だが、その価値は十分あるだろう。ややオーバーに言えば、一生記憶に残る釣り体験ができるのだから。
ミズーリ川でのガイドはブライアン・ラムゼイという若者で、まじめで、よく勉強しているし、おまけにキャスティングの名手であった。この時期はトライコ(コカゲロウより二回りほど小さいカゲロウ)のハッチ/スピナーフォールが多く、朝からお昼までの午前中が勝負であった。フライパターンとしては、リアル・イミテーションでは視認性が悪いので、クラスター・パターンとして20番前後のレネゲイドやグリフィス・ナットがよく使われているという。僕はCDCを使った特製グリフィス・ナット、別名ミズーリ・スペシャルを用意していて、これが当たった!タックルは、遠投を考慮して7フィート6インチのバンブーロッド4~5番にラインはWF5Fを使用した。
朝9時、ウルフクリーク・ブリッジ下の駐車場からボートを水面におろす。まわりにはすでにかなりの数のトライコが飛んでいて、水際の水面にはスピナーがたくさん浮いていた。ブライアンが水際の藪の上を指さす。何のことかと思って見たら、そこでは無数のトライコが雲のような塊になってスウォーミングをしていた。うわあ、すごい・・・、と僕は見とれてしまった。
ウルフクリーク・ブリッジ下流部の岸近くにはいくつものライズがあった。ボートの舳先(へさき)に居た僕が最初に釣ることになり、数投目にやっと綺麗にフライが流れ、ヒットした。強い魚だった。約16インチのレインボウ・トラウトだった。次にシルが狙う。飛距離が足りず、フライがライズに届いていない。ブライアンは少しずつボートの位置を変えて、シルのフライがライズに届くようにした。このへんがシロウトには難しいところだ。シルはときどきフライを交換していた。そして、ついに鱒を掛けた!僕が釣ったのと同じくらいのレインボウ・トラウトだった。
こんなふうにしてライズを探しては釣り下っていった。ミズーリ川には水草が多い。スカッドやアセラスが多いらしい。フライを沈めたら簡単に釣れるだろうが、そんなことをしたらせっかくのトライコへのライズがムダになってしまう、と思った。何カ所かで休憩をかねて浅瀬にボートを止めた。そんなとき、僕は川にウェーディングして鱒の居そうなところにフライを投げた。やはり、足を地に付けて釣るのが気持ちがいい。足許が安定するし、浅いという安心感もある。キャスティングも、もちろん、スムーズに行える。
ある時、ブライアンが右岸にボートを止めた。
「ここはね、よく鱒が岸際についているんだよ。大物もいるからね。慎重にね」
ブライアンはシルと一緒に川岸を歩いて上流側に向かった。僕は一人で静かに下流側に向かった。30メートルくらい行ったところでライズを見つけた。その魚は岸から2メートルくらい離れた緩い流れの浅瀬に居て、吸い込むように水面の虫をとっていた。後から考えるとちゃんと点検すれば良かったのだが、僕はフロータントをフライに揉(も)み込んだだけで、すぐにダウンストリームにキャストを開始した。フライが流れ、ドラッグが掛かり始める直前に、小さなあぶくを残してフライが消えた。間髪を入れず、僕の右手は合わせていた。軽い抵抗を一瞬感じたのだが、次の瞬間、ラインの先には生き物の手応えがなかった。その鱒は水面に大きな波紋を残し、深みに消えていった。
「ああ・・・」
合わせ切れだった。落胆と後悔が渦を巻く。5エックスのティペットと4番のバンブーロッドを使っていて、しかも、経験あるフライフィッシャーマンが合わせ切れとは!なぜ合わせ切れをしたのか。魚が大きかったことは、まず間違いない。50センチメートルよりずっと大きかっただろう。60くらいあったかもしれない。それに加えてティペットにウィンド・ノットができていた可能性もあっただろう。そうじゃないと、あんなに簡単にティペットが切れるはずがない。そして、合わせがちょっと強すぎたかもしれない。ダウンストリームに釣ってラインが伸びきっているときには、強い合わせは禁物であり、竿先をちょっとあげるくらいで丁度いいのである。そんなことは百も承知のベテランのはずなのに・・・。
「大きかったねえ。見たよ、魚が反転する大きな波を」
と近づいてきたブライアンが言った。
「うん、大きかった。わかってるんだよ」
と、僕は彼をチラッと見て答えた。それ以上、僕は何も言いたくなかった。自分の思慮のなさ、準備の悪さ、つまり自分の失敗を言いたくなかったからだ。ああ、またやってしまった、大物のライズに出会うと頭に血がのぼってしまう悪い癖をコントロールできなかった、まだ青い、ハナ垂れ小僧、と自分をののしりたい気分だった。
ボートで川を下りながら、シルは、あそこはよく来たところだ、あの鉄橋の所には車一台分の駐車スペースがあるんだよ、などと話す。
自宅から2時間半のドライブでミズーリ川まで来られるので、ずいぶんとこの川には通ったらしい。岸からウェーディング出来る場所は熟知しているわけだ。今回のフロート・トリップでも、岸からウェーディングしている人をかなり見かけた。彼らは地元の釣り人であり、あれが本物のフライフィッシャーマンだな、と思った。それに対して、ガイド付きでボートから釣っている自分たちは金持ちの道楽釣り師みたいで、少し恥ずかしい気持ちにもなった。だが、自分は旅行者であり、ガイドを雇うしかないんだから、と自分をなぐさめた。
夕食でビールを飲んでいるとき、シルが言った。君からもらったCDCのグリフィス・ナットはすばらしいフライだね。あれに変えたらとたんに鱒の出方が良くなったんだよ。よく見えるしね。あれも言ってみればソフトハックル・フライだから、ニュー・パターンとして書いてもいいだろうかと。いいとも、と僕は答えた。ノビーズ・ナットとか名付けてくれると嬉しいななんて思ったが、シルにまかせることにした。食事もおいしく、ウェイトレスの感じも良かった。シルは上機嫌で、普段にもまして饒舌だった。食事のあとシルはウェイトレスと立ち話を始めた。そして、歩きながら身体を揺すって、上を向いて口を尖らせて口笛を吹いているようだった。幸せそうだった。
夕方にはボーズマンにもどり、シルともお別れである。シルはミズーリ川に行けてとても嬉しかったと言ってくれた。奥さんのヘイゼルの話では、シルも歳をとり、最近はあまり釣りには行ってないらしい。僕が一緒だったから釣りに行けたし、しかも、大好きなミズーリに行けたので格別に嬉しかったそうだ。僕は、
「一緒に釣りができてとても嬉しかったです。あのう、ひとつお願いがあるんですが。もし可能ならフライを巻いてくれませんか、あの額にフライを提供してくれたソフトハックルズのメンバーの一人に一個ずつでいいんですが」
と頼んでみた。すると
「オーケー、もちろんだよ。喜んでフライを巻いてあげよう」
と言ってくれた。
いまや伝説になりつつある老釣り師〝ソフト・シル〟との釣りが終わった。ソフトハックル・フライに魅せられて、5冊もの本を書いた男であり、ソフトハックル・フライのシンプルな美しさと釣れるという実用性に惚れ込んだ男に僕は心からの敬愛の情と親近感を感じていた。先を急ぐ僕は車に乗り、シルの家があるシューティング・スター・レイン(流れ星通り)というしゃれた地名をあとにした。
-その1、おわり-
注:もし、その2が読みたいという人が居たら言ってくれ。載せるから