7月31日(金)
長野県白馬村のフロンティアには、年に1回は行ってきたが、去年はなぜだか行っていない。体調不良だったかもしれないが、記憶にない。
で、沼津のN井田君の幹事で、今年は行ってきた。午後2時ごろには相模原を出発し、甲府盆地を通ったときには車の外気温計は38℃を示していた。エアコンは強だが、車の鉄板をとおして暑さが伝わってくるように感じ、談合坂SAに行ってソフトクリームを食べた。
夕方5時半ごろには白馬村に着いた。時間に余裕があるし、松川ぞいを走っていたら尖った山頂を持つ目立つ白馬鑓(しろうまやり)が綺麗に見えていた。ちょこっとイブニングをやろうかと姫川をのぞいたら、水位は高く、水は白濁していて、とても釣りになる状態じゃなかった。
フロンティアに行くと山田さんとも久しぶりに会う感じがした。ところで、店はイタリアンのフロンティアから和食の「山や」に様変わりしていた。山田さんの話では、冬には外国人が多く、彼らはイタリアンは食べ飽きていて、和食を食べたがるので、思い切って方向転換したそうだ。
そういうわけでこの日の夕食は和であった。これがおいしかったなあ。刺身から始まり、和え物、煮物も出たが、なんと言ってもタイのアラ汁が絶品であり、気がつくと僕はタイのアラを夢中でしゃぶっていたのだった。
「イタリアンのシェフが和食に転向するなんて驚いたなあ。料理の基本は同じということかなあ」
と聞くと、
「いや、ちょっと違うんですが、私の場合はもともとホテルの調理場に居たので、その時には和食も作っていたんです。そのあとスカイラークでも鍛えられましたし」
とのこと。僕は彼の和食を食べ、これはイケルと思った。イタリアンより和食の方が、僕もありがたい。
変わったことと言ったら、秋田から奥さんを呼んでいっしょに働いていたこと。〈20年ほったらかしにして釣り狂ってましたから〉と言う。いろいろあって、やっと山田さんも家庭を大事にする年ごろになったということか。
足が地に付いたと言おうか、彼は秋田のマタギの家に生まれ、家を出て東京で苦労を重ね、釣りでよく来ていた白馬でやっと自分の店を持ち、白馬に骨を埋めるつもりになったんだろう。夕食の後には一升瓶が出てきて、同宿の横浜のU村さんといっしょに飲みながら彼の話を聞くと、そんな風に僕なりに納得する所があった。
”男の一生”だな、と思った。