■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=827401
2016年05月30日(月) 

 今年中の発行をめざして準備中の「ある毛鉤釣り師の足跡」ですが、まだまだもう少し時間がかかりそうです。そこで、予告編というか、納められている46のエピソード/エッセイのうち、いくつか紹介していきたいと思います。
 今回紹介するのは1991年に「フライの雑誌」に掲載された「朝日のあたる家」です。やや長いので、SNS/フェイスブック用に4分の1ずつ、4回連載でお届けしましょう。


朝日のあたる家 ー心に残った会話と情景ー  (1991年)  序章
                    
 釣りをしていていいことの一つは、旅先でいろんな人と会えることだろう。人と会えば、会話が生まれ、一つの情景となる。そのうちのいくつかは、内容が濃かったり、何かを象徴していたりして、深く心に刻まれる。釣りの余録というわけだが、余録以上のものがあるように思う。そこで、今回、静岡県の朽木利久さんと米国モンタナ州に釣りに行ったときの印象に残った会話を、その背景とともに紹介しよう。

旅の概要
 1990年6月16日、サンフランシスコから空路をモンタナ州ビリングスに飛び、レンタカーを借りて2時間走ってフォートスミスに到着、そこで3泊し、ビッグホーン川Bighorn R.で釣りをした。宿泊場所はビッグホーンアングラーで、釣りガイドはグレッグ・フェッツアー。つぎに、車で国道90号線を西に走り、リビングストンのジョージ・アンダーソンの店とダン・ベイリーの店を訪問。そのあと、南下してイエローストーン公園を抜け、ウエストイエローストーン(町)のスリーピーホローモーテル泊、4日間。オーナーはラリー・ミラー。ここを中心にマディソン川Madison R.やヘンリーズ・フォークHenry's Forkを釣った。6月23日朝、ウエストイエローストーン空港より帰路についた。あしかけ9日間、正味釣り日数は6日間の旅であった。


〈釣り前夜〉
 サンフランシスコでの話。夜9時頃。

僕「ディノの店はこの辺だと聞いてきたんだけど、見つからないんだ。もし知ってたら教えてくれないか」
男「あそこはね、昼間だけしかやってないんだ。9時から5時までなんだよ」
僕「なんだって、昼間だけだって!そりゃあ信じられない。そこはトップレスバーだよ。本当にそこのことを言ってるの?」
男「もちろんさ」

 背景ーサンフランシスコを出発すれば、あとはずっと田舎に居ることになる。その日は最後の都会の夜であった。女性の体の一部がダイナミックに搖れるのを酒を飲みながら楽しむくらいはいいだろうと思った。それに、アメリカ人は明るいのがいい。映画やテレビで見たところでは、踊り子が目の前に来た時にチップをやると、チップをボトムウエアに突っ込んで、とびきり濃厚な踊りを披露してくれるようだ。そんなことを一度やって見たかったのだ。また、サンフランシスコはトップレスの発祥の地だそうで、ぜひ本場物を見たいと思ったのだった。
  ホテルのフロントマンは、僕が聞くと、ただちに、
「それならディノの店がいい。あそこはなかなかいいよ」
と言ったのだ。朽木さんと二人で夜のサンフランシスコをあちこち歩き回って、あげくの果てが先ほどの会話である。もちろん、夜営業しているトップレス・バーはほかにもたくさんあったのだが、我々はディノの店に行きたかったのだ。結局、その夜は歩き疲れてホテルに帰ってしまった。
 それにしても、昼間だけとは!アメリカではトップレス程度は風俗業じゃなく、硬い仕事に属すのだろうか?
 その夜、盛り場を歩いているとき、グラマーなブロンド美人が寄ってきたのだった。マリリン・モンローによく似ているが、ブラジル人だと思った。
女「ニッポンジン、スケベイ、アソビマショ。ニッポンジン、スケベイ、アソビマショ」
と日本語で、しかも大きな声で、話しかけてきた。とてもおおらかで結構なのだが、僕は日本人であることがすこし恥ずかしくなって、思わず「あっちにいけ」と小声で言ってしまった。
 満員でぎゅうぎゅう詰めのケーブルカーに乗っていると、黒人の車掌兼運転手が冗談まじりに
「入口に立ち止まらないで、どんどん奥へ進んで!」
とドナる。こっちは外が見たいから、入口の所で頑張る。そこから見たサンフランシスコの夜景は本当に綺麗だった。
 いろいろな人種がひしめき交通渋滞の激しい町だが、人間くささがぎっしり詰まったある種の暖かさのようなものを感じさせる町だった。


〈釣りガイドはドクター〉
  ビッグホーン川にて。朽木さんが一人でライズを狙っている間、ボートに残った僕と釣りガイドのグレッグとの会話。彼は、38才。堂々たる体格で、落ちついた話し方をする。

グレッグ「今年の3月、やっと電気工学のピーエイチディーPh.D.を取ったんだ。2週間後にはコロラドの電気会社の面接を受ける予定なんだよ」
僕「それはそれは、すごいね。面接にパスしたら釣りガイドはやめるのかい?」
グレッグ「そうなると思うよ」
 と、ちょっと寂しげにつぶやいた。

  背景ーアメリカのPh.D.のタイトルは取るのがとても難しく、日本の大学卒業証書よりもずっと価値が高い。ちゃんとしたオリジナルの研究をして一流雑誌に論文が載らねばならない。そのかわり、このタイトルをとるとドクターと呼ばれ、実力主義のアメリカでは、この資格のあるなしで就職のときの評価がまるで違う。ちなみに、医師はメディカル・ドクターと呼ばれる。グレッグは、このビッグホーンでもう4年間釣りガイドをやっているという。夏は趣味をかねてガイドをして金を貯め、冬はコロラド州立大学で勉強と研究をやってきたそうだ。エライもんだと思うと同時に、このような生き方ができるアメリカという国のシステムに強い印象を受けた。
  彼が最後に寂しそうにつぶやいた理由を僕なりに想像してみた。企業に就職すればいろんな意味で束縛されるし、人間関係もうまくやらなければいけないし、そうそう釣りにも行けないだろう。おまけに、いま住んでいるフォートスミス(田舎で、素晴らしい川に鱒がいる)から離れることになる。だけど、やはり定職に就いた方が今後の人生設計がきちんと立てられるので、仕方がない。いま一緒に住んでいるジェーンとも結婚できるだろう。と、こんなところか。当たらずと言えども遠からずだろう。

 


閲覧数722 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2016/05/30 22:10
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
狂四郎さん
[一言]
■この日はどんな日
ほかの[ 05月30日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み