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2019年08月02日(金) 
今回は父親の思い出

父親は僕が15歳の時に亡くなったんで、余り思い出らしい思い出は無いんだけれど、思い出してみればそれなりに有るのかな?

僕は未だ高度経済成長なんて言葉が流行る前に、自営業の家庭の5人兄弟の末っ子として産まれた。因みに自営業の内容を具体的に書いちゃうとたちまち素性がバレてしまうんで、ここでは単に自営業って事にと止めておく。

我が家は両親、長女、長男、次女、三女、そして僕の7人家族。家業は母親と当時は2人程居た使用人、それに長女が手伝いながらで賄っていた。父は勤め人やってたんだけど、両親が歳食ってから産まれた僕の記憶では、父が勤めていたのは薄っすらと覚えている程度。

元々お酒が大好きだった父親は、若い頃は小さな町の中でも結構知られた酒飲み(放蕩息子)だったみたいで、それを見るに見かねた町の有力者に拾われてサラリーマンに転身したと聞かされている。因みにこの有力者って人は、父を更生?させてから数十年後、今度は息子である僕の就職に多大なる影響を与えてくれるんだけれど、当時は誰一人そんな事は思いもよらない事だった。

【薄っすらとした記憶の中で】

僕が幼稚園児だった頃の記憶では、未だ父親は勤めていて、勤務先は僕の自宅から大人の足で5分も掛からない様な距離にあったが、記憶では何度か父親の職場に遊びに行った事があった。勿論唯の遊び場としてた訳じゃあ無い。そこには僕なりの計算(下心)があっての事で、それはズバリお小遣い!

父親の勤め先を知っていた僕は、わざわざ父親の視界に入るようにして遊んでた。父親の勤務先で子供が遊ぶだなんて当時はノンビリしてますよね、って言うか社会全体が今より凄く緩やかだったんだろうね。そして遊んでる息子を目撃した父親は、サッと寄ってきて『ここは子供が来るところじゃ無いからすぐ帰りなさい!』って、当たり前だけど追っ払おうとした。でもね、その時には必ずって言って良い程、父親は僕に10円玉を握らせてくれた。そう、目的はこれだったんですよ〜。

それから僕が小学校に入る時に父親はランドセルを買ってくれた。父親から直接手渡された記憶は無いけれど、何かにつけ母親は口癖のように『お父さんが高いランドセル買ってくれてね…』なんてニコニコしながら言ってたから本当だと思う。

勿論どれだけ高価だったのか分からなかったけれど、これまた母親が『父さんがわざわざ東京まで行って1万円もするランドセルを買ってきてくれたんだよ』って言ってた。後で調べたら、当時の大卒初任給が2万円に届かない、尚且つ高校進学率がまだ7割になったような時代で、大卒はかなりのエリートだったろうから、ランドセルが1万円って確かに高価だったと思う。

その頃に父親は定年退職してたから、正に「歳食ってからの子供は可愛い」ってな感じだったのかな?

それに他の兄弟が言うには『昔の父親は兎に角怖かった』『怒ると口より先に殴られた』って口を揃えて言っていたしね。姉貴なんて怒られて庭にあった大きなイチョウの木に縛り付けられた事も有ったけど、FAIRY-TALEには優しかったよね〜、っても言われた。僕自身も父親に怒られた記憶なんて無かった。まぁそれは晩年の父親は病気でだいぶ気弱になってた事も関係あったのかも。

【父親との最後の思い出】

僕が父親と行動したのは、僕の中学校受験が最後となった。実は僕、地元の公立中学では無く、他の学校に進学したんだけれどこれも父親の意向だった。その理由はついに聞かず終いになったしまったけど。

以前にも書いたが、父親は僕の母親と結婚する前に他の女性と結婚、4人の子供が居た。しかしこの先妻は亡くなり、後妻として僕の母親が迎えられ僕が産まれた。

父親は後妻として迎える女性の実家を安心させるためだったらしいが、僕が産まれた直後に母親名義で当時としては珍しかった建て売り分譲住宅を購入し、母親の実家に挨拶したそうだ。『夫婦の隠居屋敷を妻名義で買ったので安心してください』そう言ったらしい。

これは僕が大学生だった頃、伯父から聞かされた。父親としては、既に4人も子供が居る家庭に後妻として入る妻の実家と本人を安心させる為だったと思う。それに4人の子供達にも後妻を新たな母親として認めさせる思惑もあったのかも。そしてその土地と建物は、巡り巡って現在は僕のものとなり、当時の建物は無くなったが、僕達夫婦の終の住処となっている。

実は僕が産まれた後、父親は一番上の姉を親戚の仕事を手伝わせる名目で3年間程海外に行かせたが、これは後妻としての基礎を築かせるための手段だったと後から聞いた。

また亡くなった先妻の実家とは縁が切れる事無く僕が結婚する頃まで続いた。幼かった僕は理解出来なかったが、年に数回姉兄達と一緒に遊びに行っていた記憶がある。上の4人にとっては実母の実家だから行き来するのは当然といえば当然だよね。

それにきっと姉や兄はまだ行き来があるんじゃないかな?

流石に僕自身は最近疎遠になってしまったが、僕の嫁さんを心配してくれて、お見合い話を持って来てくれたりもしたし、僕の結婚式にも出席して貰った。

話は最初に戻るけど、父親は本当にお酒が大好きだったが、結局その大好きなモノで命を縮めてしまった。

父親が酒を飲む姿をこれまた薄っすらと覚えてる。毎晩ジョッキにウイスキーの角瓶を半分程入れ、それをビールで割って飲んでた。元来日本酒党だったらしいが、それが原因で糖尿病を患い断念。昔は日本酒はカロリーが有るからダメだが、ウイスキーは蒸留酒だからって事で許す医者も居たらしい。なので僕の記憶では角瓶を2日で1本空けるという今考えれば恐ろしい程のハイペースで飲んでいた。で、結局糖尿病の他に肝硬変まで患う事に。医者からは癌を疑われて開腹手術をしたものの、癌では無く肝硬変だったので何の処置も出来ず、そのまま手術は終わったと聞いている。

そこから父親は浴びる程に飲んでいた酒をピタリと止めてしまい、散歩を欠かさない生活に。でも結局肝硬変で僕が中学3年生の時に亡くなった。でもその数年前から入退院を繰り返していて、心の何処かで覚悟が出来ていたんだろうな、突然居なくなったという感覚は無く、父親の死に直面したのに結構冷静だった。

父親が亡くなった当日に登校し、先生達に大層驚かれ、そのまま家に帰されてしまった。今思えはスゲ〜!と思うけど、親が亡くなった日に息子を学校に行かせた母親も如何なものだったのかと感じる。

さて、最初に書いたが、父親を就職させた町の有力者って人は、巡り巡って僕が就職する時は某会社の理事長さんになっていて既に90歳を超えていた。そして僕がその理事長さんの会社の就職試験を受けた時に、わざわざ先方から連絡を頂いた。

電話に出るなり『君はウチの会社に来る必要は無い、父親と同じところに行けば良い。だからウチは落とすよ』と一方的に言われたが、まさか本当に落とされるとは思わなかった。但しこれが実力不足で落とされたのか?それとも理事長さんの意向で落とされたのかは不明だけど。で、結局僕は理事長さんの言葉どおり父親と同じところに就職する事となった。僕は真っ先に理事長さんに報告したんだけど、その時に思わぬ返事を頂いた。

『就職おめでとう。但し浮かれて「◯◯に入った」なんて吹聴したらダメだよ。君が合格したって事は、誰が動いたのか直ぐに分かってしまう…』

ここまで言われて、何がどう動いて、どういった結果になったのか、いくら鈍感な僕でも分かってしまった。そして理事長さんには後日改めてお礼に伺った。併せて父親にも感謝した。拾われた父親がその後この方を裏切らなかったからこそ、その子供である僕を気に掛けてくれた。

この方はまるで僕の就職を待ってくれていたかの様に、それから数ヶ月後に突然お亡くなりになり、勿論葬儀には参列させて頂いた。

父親はあれだけ好きだった酒をピタリと止めてしまったが、亡くなる直前まで止められなかったモノがあった、それは煙草。

病院のベッドに寝たきりとなり、自力では吸えなくなったのに、付き添っていた長女や三女に『煙草の煙を吹きかけてくれ』とワガママを言ったそうだ。姉達は病院である事を理由に断ったんだけど、どうしてもと言われ、周囲を気にしながら煙草に火を点けて吹き掛けていたらしい。因みに2人の姉はそれをきっかけに煙草を吸うようになってしまった(姉の後日談)。

父親が吸っていたのはゴールデンバット、そして最晩年はハイライトで、全く煙草を吸わない僕も、お墓参りの時ばかりは煙草に火を点けてお線香代わりに墓前に供えたりもする。

つい先日、ゴールデンバットの製造が終了するとのニュースを聞き、連想ゲームじゃないけれど改めて父親を思い出し、ここに書くきっかけとなった。

閲覧数296 カテゴリ日記 投稿日時2019/08/02 20:13
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FAIRY-TALEさん
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