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2019年08月08日(木) 
女房殿との出会いは以前も書いたから、今回は結婚前後から印象に残ってる事を書いてみる。

なお、表題の「僕と女房殿と校庭で」ってのは内容と全く関係なし。「僕とフリオと校庭で」をパクっただけなんで悪しからず。


おさらいになっちゃうけど、僕と女房殿は2歳違いでお見合い結婚。因みに伯父は「男女の精神年齢は7歳位違う。だから7歳年下の嫁さんで丁度釣り合いが取れる」ってな理論で、その理論に従うと僕は女房殿より圧倒的に考え方が幼いという事になる。

若い時から誰彼構わず言いたい事は言わなきゃ気がすまない僕だけど、女性に関してはからっきしダメだったし、その血筋?を受け継いだ2人の息子も残念ながら30の大台ながら女っ気無しという体たらく。まっ、そんな意気地無し?だったためか見合いには何の抵抗も無かった。25歳位から毎月のようにお見合い話が舞い込んで、最初は面白(興味)半分で会った事もあったけど、あっさり断られ、それ以後は「30歳になったら慌てる」って宣言?して断ってた。

女房殿の時も一度は断ったんだけど、間に入ってくれた人からその後も何度かお話が。その都度『年末で忙しい』『年度末で忙しい』『年度始めで忙しい』って何だかんだ理由つけて断ってたけど、終いには断る理由が見つからず『じゃあ会うだけですよ』ってな事言って会ったのが運の尽き?。『親との同居は問題無い』って言われ、母子2人暮らしだった僕もスンナリ話が出来て何故かトントン拍子で話が進み、秋には結婚する事と相成った。

結婚する事は決まったものの、女房殿は極度の花粉症で、結婚式は来年の夏以降にって言ってたんだけど、丁度新築してた我が家も完成する事だし、年度内(3月末迄)にって事で押し切った。

式場を何処にするのかなかなか決まらなかったんだけど、基本的には一瞬で終わっちゃう披露宴にお金を掛けるのは馬鹿らしいね、その分を新婚旅行を豪勢にしよう♬な〜んてノーテンキに話してた。

その後は色々と有り盛大な喧嘩もしたけど新築した家で僕の母親同居の3人での生活がスタート。結婚当初会社勤めしてた女房殿は最初の子を流産してしまい、次に長男を妊娠した時にはスパッと潔く?退職、以後は今に至るまで専業主婦になった。僕も子供達が『ただいま〜』って帰って来たら母親が『お帰り〜♬』って返事する(出来る)家庭が欲しかったんで全く抵抗が無かった。

ところで女房殿は幼い頃に父親を、そして結婚する数年前に母親を突然亡くしていて、僕は所謂「嫁さんの両親、実家」なるものを殆ど経験していない。そして女房殿には兄が2人いて所謂「末っ子の長女」ってなヤツで、本人は言われると怒るけど典型的な世間知らず・苦労知らずの部類に入ると僕は確信してる。一言で言えば「口を開けてれば食物の方から口に飛び込んで来る」と思ってる感じ。そんな女房殿だけど、結婚する時に『私にはもう両親が居ないし戻る所が無い。だからもし離婚する様な事が有ったらアンタが出て行ってね』って宣言された。

そんな女房殿も子供達が小学生になり、手が掛からなくなった頃に『もう一度働きたい!』って言い出したんだけど、丁度その頃に同居してた僕の母に認知症の症状が出始め、介護等で結局外に出る事は叶わなかった。

僕は仕事に逃げていて母の介護は女房殿に任せっきりだったが、女房殿自身が介護&子育てのストレスで極度に体調を崩し、体重は30キロ台に迄痩せ、ストレス性蕁麻疹で眠られず夜中中掻き毟る…。そして同時にストレス性十二指腸潰瘍迄発症してダウン!『このままじゃ義母さんより私の方が先に死んじゃう!』と談判されてしまった。

結局母を施設に入れる事で事なきを得たが、今度は義母を施設に入れた事で僕の兄弟・親戚、近所から悪口言われるんじゃないかと心配し始めた。

そこは同居してた実の息子の俺が決断したんだし、納得もしてるんだから周囲に惑わされるな。言いたい奴には言わせておけばいい、って何度も何度も言って聞かせた。

そしてこの人って強いな〜、ってつくづく思い知らされたのが母が亡くなった時。

僕は腹違いの姉や兄が4人居て僕は5番目の次男坊。母は僕と同居を始める前は僕の実家で兄貴夫婦と同居して家業を賄っていた。

でもどうしても兄貴の嫁さんとソリが合わず、併せて実の息子と同居したいという事で僕が就職して暫くして兄貴夫婦と住んでいた実家を離れ僕との同居を始めた。

まぁ何処にでも転がってる嫁さんと姑さんとのイザコザだったんだけど、母が亡くなった時に長男が守ってる実家の墓に入るのか?それとも僕が買ってあった墓地に墓を建ててそこに入るのかでちょっとしたトラブルになった。

僕も兄貴もそれ程大事には思わなかったんだけど女房殿は違った。

義母さんが後妻として自分の産んだ子でも無いのにしっかりと育て上げ家業も守った。色々と有ったのかもしれないが義母の夫が眠る実家の墓に入って当然だ!とハッキリ主張。

このトラブルは親戚まで巻き込む事となり、事実は別として「育ててくれた継母を拒絶する兄貴夫婦、対して正論で筋を通そうとする立派な次男の嫁さん」みたいな構図になり、親戚は皆女房殿を応援する事に。

何度も書くけど実態は微妙に違っていたが、「亡き義母の立場と尊厳を守り抜く」といった錦の御旗をおっ立てて、意地悪する兄嫁と真っ向から戦う真っ当な次男の嫁といった構図は最後まで変わらなかった。

親戚の援護射撃もあり結局母は僕の実家の墓に入ったが、まぁその時は兄貴も僕も影は薄かったな。

以後、世間知らずで苦労知らずな女ってな台詞は口が裂けても言えなくなった。

因みに女房殿は『お姉さん(兄嫁)も貴方の実家も大嫌い!』って宣言し、それ以降実家の敷居をまたぐ事は無くなってしまった。それを許す僕も不甲斐ない事は重々承知してる。

今になって思えば、その辺りからパワーバランスが微妙に変化して行ったのかもで、今では全く頭が上がらない。

流石に最近は言わなくなったが、女房殿の口癖は『何考えてるのアンタ?』だった。

僕の小遣いはずっと定額制なんだけど、以前残業が多い部署に勤めていた時に『全部とは言わないけど、毎月の残業代の1割でもいいから上乗せしてくれたら励みになるんだけど』って言った時も、即座に一言『何考えてるのアンタ?』で済まされた。

今回人生で2度目のイエタテを経験したけど、その時は『しっかりお財布管理した私のお陰、しっかり者の嫁さんと結婚できて良かったよね』って何度も言われた。

笑って誤魔化してるけど、ホントは密かに『そ〜じゃね〜だろぉ』と思ってる。

2回目のイエタテは、この土地を残してくれた父と、前回のイエタテは母が資金の殆どを出してくれたからに違いない。

実はつい最近、女房殿も『ホントに親と同居したからこそ(建て替えが)出来たよね〜、お義父さん、お義母さんに感謝しなきゃね』ってボソッと呟いた。

な〜んだ、分かってんじゃん女房殿。

閲覧数324 カテゴリ日記 投稿日時2019/08/08 21:35
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