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2009年03月12日(木) 
聴覚 Sense of Hearing

 釣り人同士が岸で会話している声が鱒に聞こえているかどうかという古くからの疑問を解決するため、ある実験をしてみました。友人であるグラトウィッチGratwichに住むブラウン牧師Rev. Mr. Brownと私は6インチ(約15センチメートル)の深さに定位している鱒を選んで観察しました。そして第3の人には観察小屋の裏-ちょうど鱒と反対側になる-に居てもらい、鉄砲を一発発射してもらったのです。発射の時の閃光が鱒に見えた可能性はありません。その結果、鱒にはごくわずかな変化も起きなかったのでした。
 二発目が発射されましたが、依然として鱒はじっとしており、発射音が聞こえたことを示す徴候は見られませんでした。この実験は繰り返し行われ、いつも同じ結果だったのです。さらに実験を進め、私や他の人が小屋の近くで、6フィート(約1.8メートル)以内の近距離から鱒に向かって大声で叫んでみたのですが、鱒を驚かすことはできませんでした。その後、実験はあまりやっていません。その理由は、鱒が音に慣れてしまうかもしれないと考えたからです。ただし、鱒に音が聞こえていた場合の話ですが。
 魚が彼らの器管によって、直接に、または空気の介在によって、音の振動を感じていた可能性はあるでしょう。だが、彼らが聴力器管を持っているという証拠はいまだに明快に証明されているわけではありません。いずれにせよ、前述の発砲にしろ、大きな叫び声にしろ、水に振動を与えたはずですが、それは鱒が驚かないほど極めてわずかであったということなのです。
 この興味ある問題の検討はもっと有能な学識者に任せるとして、私たち釣り人にとっては鱒は人の声や鉄砲の発射音が聞こえるような耳は持っていないということを知るだけで十分ではないでしょうか。フライフィッシングの技術を磨いている人に親しげに声を掛けて助言することは決して鱒をおびやかす心配はないんだ、ということを認識してほしいのです。


視覚 Sight

 魚の感覚の中で視覚は彼らにとってもっとも重要なものでしょう。彼らの目は、当然ではありますが、彼らの生きるための要素としてじゅうぶんに適応しているはずです。実際、彼らが生存できるかどうかは眼球の結晶物(訳者注:角膜・レンズ)や液状物(訳者注:房水・硝子体)の働きとともに視神経の感知能力に大きく依存しているように思われます。
 魚は人が想像しているよりもっと正確に対象物を見分けることができるように思います。
 例えば釣り人(図1、プレート2)がCの魚からある程度離れて小高い岸に居たとします。魚は底近くの深みに居て、岸のD地点を越えて、AFZの方向を見通しています。その釣り人は(もし光の屈折の法則を知らなければ)Cの魚からも、また彼から見た直線的視野AFZの下に居る魚からも自分が見えているとは思わないでしょう。ところがCの魚はAFCEBを通る光の束がEFの水面で屈折し、少し小さな釣り人の姿が空中の高い位置に見えているのです。魚と釣り人が図のような位置関係になっていれば、その魚は自分の上にある水面のおかげで岸の角の影になっている釣り人の姿全体を見ることができるのです。だが、もし水面がIKのように魚の目の位置と同じくらい低ければ、釣り人の姿を見ることはできません。なぜなら屈折を受けないまっすぐの光の束は岸の角でさえぎられてしまうからです。
 対象からの光の束が水面に落ちる角度が増すごとに水面での光の屈折の程度は増えていきます。また、それに伴って見える像の鮮明度は落ちていきます。
 光の束の屈折や反射は、図2のNEOFMのように、浅い角度で水面で起こるので、Oの魚の目に届くまでに鮮明度は大きく低下して、ゆがんだMP像になってしまいます。
 見慣れない空中の像を見ているので、魚の目には明瞭に見えていないかもしれないという別の可能性も考えられるでしょう。魚の目の結晶物や液状物は水中だけではなく空中の物をちゃんと見えるように広い調節能力は持っていないのかもしれません。
 しかしながら、NELの光の束は入射角が水平になると水中にはまったく入っていきません。結果として、Oの魚はMPに立っている釣り人の上半身しか見えていないことになります。しかもNEOFMの光の束は大きく屈折するので彼の姿はきわめて不鮮明となります。NELの光の束は水中には入らないので、魚には釣り人のNLの部分はまったく見えてません。単に釣り人の足LPが見えているでしょう(水が透明であれば)、なぜなら水中では光の屈折は起きないし、目をさえぎる障害物もないからです。そんなわけで、釣り人MPの像は魚の目には2つの部分に分けて見えていて、しかもその2つの部分の間には中身のない空間があるのです。(注1)

〔注1〕
 この図はよく知られている2つの視覚法則、つまり、第1は空中から水中に入る光線のAEfでの角度のサインa.b.とCEeでの屈折角度のサインc.d.との比は常に4:3であること。第2に、もしNEf(図2)での角度が88度以上になると、水面で反射され、光は空気中から水中へは入らないこと。
 古くから知られている実験ですが、シリング硬貨を水をはった洗面器に入れて観察すれば、文中の第1の法則が良く理解できるでしょう。

 この2つの定理を釣り人がいかに活用するかは自ずから明らかでしょう。
 第1に、岸が低く、水面とほとんど同じ高さであれば、釣り人にとってきわめて有利な状況と言っていいでしょう。なぜなら、彼は魚から鮮明には見えていないのですから。ダブ川や他の鱒の川でよく見られるのですが、川岸が緩やかな勾配の砂利であれば、それは釣り人にとって非常に有利なポジションとなるわけです。(プレート I, K.)
 第2に、足首ぐらいまで水に浸かっている釣り人は、土手や岸から釣っている他の人達よりも有利な条件で釣っているのです。少なめにウェイディングすることによってエグレや浅瀬を効果的に釣ることができます。ダブ川や他の明るい川で、そんな場所は明るい夏の日に土手から釣っても釣れるものではありません。
 第3に、小さな川で、魚が上流に向いて流れてくる羽虫や昆虫を待っているとき、晴れた日であれば、川の中央を歩きながらフライやワームを底石の上の水面が波立った所、石の棚からの落ち込み、小さな淵や水溜まりに投げればいいのです。そして学んで下さい、魚は自分の後ろ側は見えないことを。魚の視機能は通常状態では後方を見るようにできていないのです。
     ---つづく

閲覧数407 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/03/12 10:21
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