LSDGのフライフィッシング部門のハイライトである大井川源流への泊まりがけ遠征が行われた。土曜日の朝4時に掛川市役所に集合し、井川に向かい、畑薙ダムからバスで二軒小屋へ。目的地にたどり着くまで5時間半を要した。着いてみれば、標高1400メートルの空気の爽やかさに長時間の移動の疲れも吹き飛んでしまったものだ。
バスは砂利道を延々と走る。ときどき地面の段差や穴にタイヤが乗ってズシンと強烈な突き上げをくらう。バスは大井川に沿って断崖の上を走りながら高度を上げ、南アルプスの山ふところへと入っていった。途中の車窓からは聖岳の尖った山頂が青空の中にスッキリと見えた。
二軒小屋に着いた時には皆はもう釣る気満々で、すぐに釣りの準備を始めた。本流組、西俣組、東俣組に別れる。ここで僕は重大なミスに気がついた。ウェーディング・シューズの右足用を2個持ってきていたのだった。
車のトランクには2組のシューズが入れてあり、新しいワンセットはいつもはトランクの奥にしまってあるのだが、チェコから持ち帰ってきたシューズを出しっぱなしにしてあったので、混乱したらしい。となると、右足には右足用のシューズを履けばいいのだが、左足にも右足用のシューズを履かねばならない。僕は愕然となった!これじゃあ指が痛くてまともに歩けない、つまりは釣りはあきらめるしかないと思ったのだ。で、試しに履いてみたら、これが何とか歩けそうなのだ。だが、長くは歩けないだろうなと思った。
僕個人の不安は別として、スクールが始まり、川の徒渉の練習、魚の付き場の説明、プレゼンテーションの模範演技のあと、釣りが始まった。川の水は昨夜の雨の影響でささにごりで、水位は平水だった。というわけで魚の活性はきわめて高かった。後で聞くと西俣は崖崩れで川に入れず、東俣の魚はスレ加減で、濁りがなく、透明度が高いぶんだけ釣りづらかった。ところが、本流はちょうどいい濁りのおかげで状況は抜群に良かったとのことで、大型のイワナが流心から何度もフライに出たそうだ。
この日、僕はS山君と一緒にK原さんとN川さんに付き添った。そしてあるときK原さんに初めてのイワナが釣れた!
「キャーうれしい、釣れちゃったよう」
と彼女は子供のようにはしゃいで、逃げるイワナをやっと手に持って写真に収まったものだ。
生涯初めての鱒を釣った時には、アメリカでの話だが、おめでとうとみんなから祝福され、握手攻めにされることになっている。で、僕のスクールでは「アマゴバッジ」を贈呈することにしている。
この日、本流では尺以上を2匹も釣った運のいい受講生もいたようだ(M山さん)。
この日の夕食は山小屋にしては豪華な物が出て、食後のテラスでの宴会は大いに盛り上がった。持参のシュナップス(40度)が旨く、評判が良かった。シュナップス専用のボヘミアグラスで一気飲みの回し飲みとなって、アッと言う間にビンが空になってしまったのには驚いた。一気飲みのたびにイッキ、イッキと拍手が湧いたナ。学生に戻ったような気分だったなあ。あとは、旨いワインが出て、さらに、部屋に入って酒盛りはつづいた。僕は早々に逃げ出して寝てしまったが・・・。
二日目。昨日ほどではないが、イワナは釣れ続けた。終わってみると、全員にイワナが釣れていたのだ!しかもM尾さん、M山さんは今回生まれて初めてイワナを釣ることができた。皆さん、オメデトウ1
この日、僕はS木さんに付き添った。彼はキャスティングが上手になったほうなのだが、テイリング・ループに悩んでいた。そこで、キャストの開始スピードを落としてストロークの途中で次第にスピードを上げるように教えたらテイリングはピタリと収まり、リーダーもまっすぐに伸びるようになった。そして、少なくとも3回はいいカタのイワナがフライに出た。だが彼は合わせられず、釣ることができなかった。彼は何度天をあおいだことか!ワカル、ワカル、そんなことを繰り返しながら釣りを覚えていくものなんだよ。悔しければ悔しいほど釣りは上手になるものなんだから・・・。
最後の写真は僕が釣った”品のいい”(やや寂しいが)25センチメートルのイワナ。
今回の釣行は100点満点だった!天気良し、渓相良し、水位水色良し、釣果良し、宿・食事良し、酒良し、人の和良し・・・。帰るときには皆の顔には笑顔があった。僕も十分に楽しみ、心からの愉快を感じていた。これほどすべてが完璧なことはきわめて稀なことだ。僕の足も痛まずにすんだことだし、ハハハ。S藤さんが僕に
「スクールやってきてほんとうに良かったですネ」
と言ったことがすべてを物語っていた。
コーチ、スタッフの皆さん、そして受講生の皆さん、お疲れ様でした、そしてありがとうと言いたい。
掛川駅までS藤さん、Y中さん、Y川君が送ってくれた。駅に着いて車から出て歩いたらとムッとする暑さと高い湿度で、みるみる汗ばんできた。そして、ほんの数時間前まで、爽やかな空気の中で渓流の冷たい水に立ち込んで竿を振っていたという事実がにわかに狂おしいほどにいとおしく思い起こされたのだった。