ボクが高校を卒業したのは昭和37年であり、今年で50年になる。これまでも何度か同窓会があったんだが、ほとんど行っていなかった。高校は九州の福岡市にある県立修猷館(しゅうゆうかん)高校といって、もとは江戸時代の黒田藩藩校であった歴史ある高校だ。 当時は校区というのがあって、住んでいる地域の小学校・中学校・高校にしか行けなかった。ボクは博多に住んでいたので、近くの歩いて行ける奈良屋小学校に行った。ところがボクは反抗的な子で、ずいぶんと教師を困らせたらしい。授業もまじめに聞いていなかったようで、学校側からの勧めで、4年生から、西の福岡にある(昔の学芸大学、今の教育大学)附属小学校に転校した。付属小・中学校は福岡側にあって、校区外であり、西公園の参道で下駄屋をやっていた叔父のところにボクの住民票を移して(寄留といった)、入学申請をしたそうだ。小学校なのに試験があったように記憶している。そして、当時としては異例の電車通学をはじめた。付属中学校には無試験(?)で進み、卒業後皆同級生は修猷館に行くので、ボクも自然の流れで修猷館に進んだというわけだ。 修猷館高校はほったらかしの学校でね、勉強したいやつはやる、したくないのはほったらかしで、よく鹿児島のラサール高校と比較されたりした。修猷館の生徒は皆個性が強いので修学旅行はナシ。昔、京都に修学旅行をしたら、旅館で大暴れをして、旅館側からは二度と来ないでくれと言われ、その後、修学旅行は行われなくなったらしい。 ボクも高校時代は勉強嫌いで、弓道部に1年、山岳部に2年、生物研究部に3年所属した。福岡音楽愛好会(福岡市民用)に入っていたので、高校で(クラシック)レコード鑑賞会というのもやったこともある。ま、遊んでばかりであった。授業中の早メシは当たり前で、授業中に抜け出したこともあった。彼女もできたりしてね、受験勉強はまったくやらなかった。いい高校時代だったなあ。自由で・・・。学風は自由、独立、自尊、といったところか。 今回の同窓会参加人数は77名。福岡からバス2台で嬉野温泉に行き、夜は宴会。翌日はハウステンボスと有田(有田焼き、伊万里焼)に寄って、福岡に帰る。 で、50年振りの高校同窓会となった。今回、幹事が工夫して名札を作ってくれ、各自胸から下げることになっていた。名札には高校時代の自分の上半身の写真が貼ってあった。これがすばらしい思いつきだった。会う人ごとに名前と写真、そして目の前の本人の顔を見比べて、驚いたり、笑ったり、したものだ。 昭和37年卒は460名ほどで、その1割にあたる45名がすでに死んでいる。50周年の同窓会は生存者の再開という雰囲気もあったようだ。 いやあ、楽しかったなあ。偉くなったヤツもいれば事業に失敗したヤツもいて、いっしょに騒いで、応援団付きで校歌を歌った。バカな裸踊りまで出て、女性陣は目のやり場に困っただろう。バンカラという表現がやや当たるかもしれない。 翌朝、朝食前に時間があったので、近くの豊玉姫神社に行ってみた。豊玉姫は竜宮城の乙姫様であり、海の神であり、そのお遣いはナマズで、お詣りすれば美肌にもいいそうだ。 ハウステンボスと有田は書くほどの事がないので割愛する。福岡空港にバスがついてボクは皆と「またナ、元気でネ」と言い交わして、握手して、別れた。空港では名残りの博多うどんを食べ、おみやげの「鶴の子」を買う。急激に時間が50年前から現在に戻っていくのを感じていた。