「ある毛鉤釣り師の足跡」を準備中だが、あれも書いておきたい、これも・・・と手が入り、なかなか脱稿しない。 ブログのネタ切れを補いがてら、準備中の本から少しずつ紹介しておこうと思う。 今回の話は「フライの雑誌」に、1990年に載ったもの。 ------------------**----------------- ウトロにて (1990年) ”実はちょっといい釣りをしましてね。北海道の知床に幌別川というのがあるんですが、そこの河口でカラフトマスを釣ったんですよ。連中、岸から10メートルくらいの所で水面に背鰭を出して群れてるんですよ。そこにフライを投げてやると一発で掛かって・・・そのファイトの激しさはものすごくてですね、疾走するスピードはニジマスより早いんじゃないかと思えるほどなんです” これが、典型的な釣り人の自慢話であり、人の心をかき立てることおびただしいが、さて、どの程度信頼できるかというと、これは慎重であらねばならない。「話がうますぎて信頼性が極めて低い話」の事を英語でフィッシャーマンズ・ストーリーと言うほどだからである。 まあ、今年の夏はこの話に乗せられてみるかと思った。もし、カラフトマスがダメでも、知床には北海道だけに棲む渓流の宝石”オショロコマ”がいるし。 幌別川の河口近くにはウトロという小さな集落がある。ここに5泊して、じっくりカラフトマスを狙うことにした。前もってウトロの宿泊案内所に電話で問い合わせると、親切で評判の民宿を教えてくれ、そこに決めた。その民宿は65才くらいのおばさんが一人でやっていて、その名を「王昭君」という。たいそうな名前だが、素泊まりだけで食事は出ず、一泊2500円であった。 そのおばさんの話。 「うちは、漁師さんや学生さんが多くってね、学生さんはかわいいね。いつだったか、お金がないからまけてくれって言うんですよ。いくらなら払えるのかって聞いたら、1000円ならって。じゃあ1000円でいいよって、泊めてやったんですよ」 「あとで、ちょっと部屋のぞいたら、その学生さんたちコッペパン買ってきてかじってるんですよ。かわいそうなんで、その晩焼肉をしてやったんですよ。喜んじゃってねえ。なんでも、社会人になるとまとまった休みは取れないらしいから、学生時代最後の夏休みに、北海道一周けちけち旅行をすることにしたらしいんですよ。その後半年くらい経ってから九州からミカンを一箱送ってきてね。初めての給料で買ったんだと。ほんとにかわいいねえ」 さて食事となって、おばさんに教えてもらった良心的だという食堂へ行く。そこは、ウトロのバス停前のごく普通の食堂であった。 その店のおやじとの会話。 「ある時ね、学生さんが来たから話をしたら、たまにはまともなものが食べたいから食堂にきたんだって。じゃあ、ふだんはどうしてるのって聞いたら、テントと自動炊飯器持って歩いてるんだと。自動炊飯器の電気はどうするんだって聞いたら、街角の自動販売機のコンセントをちょっと拝借するんだって。学生さんはやるねえ。だけど、お客さん、金の無い学生時代が一番いい時なんでしょうねえ」。 「そうだねえ、やっぱりそうなんだろうねえ」と答える。 時鮭をつつきながら、自分の学生時代を思い返してみた。当時は、それなりに苦しい日々だったのだが、一途な若さにまかせて気ままに生きたいい時だったと思った。 カラフトマス釣りのほうは、4日間釣りをして一匹半の釣果だった。幌別川の河口にも行ってみたが、餌釣り師が5メートル間隔でズラリと並んで釣っていて、割り込むスペースはなかった。しかたなく、波打ち際を歩いていくと、海岸の岩礁の間で、水面から背びれが数個出ているのを見つけた。岩礁伝いになんとか近づき、背びれに向かってフライを投げると一発で食ったのだった。そのファイトはほんとうにすさまじかった。海岸に向かって矢のように奔り、砂浜に乗り上げかかったものだった。”半”というのは、魚を掛けて充分楽しんだが、結局逃げられてしまった分である。 いい旅は、日頃忘れていた感覚を呼び覚ましてくれる。それは旅先で、その土地で生活している人との会話によって生まれることが多い。今度の旅では、釣りのほうより、そんな会話のほうが印象に残っている。 ------------------**------------------ |