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2013年10月23日(水) 

意思は未来時制の文章内容である。日本語には時制がない。 (韓国語・中国語にも時制がない。)

意思があれば方法がある。積極的・能動的。打開策を講ずる。生きる力がある。
問題が起これば自分の罪を認めないわけにはゆかなくなる。歴史認識の問題にもリーズナブルの答えが出せる。

意思がなければ方法がない。消極的・受動的。諦観する。座して死を待つ。ひ弱な花。
問題が起これば被害者意識がこみあげてくる。怨恨の応酬。未来社会の建設に関する提案はなされない。

無意思でいれば、責任を追及されることもない。罪の意識にもさいなまれることもない。
だから、慣れ親しんできた伝統的な生き方の快適さと安心を手放すことは難しい。
だが、加害者意識の無い人は、子供の様なもので、相手から信頼されることはない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/



閲覧数1,744 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2013/10/23 17:32
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コメント(1)
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  • 2013/10/24 03:29

    恣意と意思の違い


    権力を誰に与えるかは、権力をどの意思につけるかと言うことである。
    ところが、日本人には意思がない。だが、恣意・意向がある。
    だから、人選びは、どの恣意に権力をつけるかということになる。
    恣意 (私意・我儘・身勝手) は何処の国にいっても通用しない。責任者に恣意的な判断をされては困るからである。
    無哲学・能天気では、人間のつかみどころがない。まじめな人選ができない。
    ぜひ、選ばれた人には滅私奉公をお願いせざるを得ない。そうでなければ、’自由のはき違え’ になる。
    だから、権力という危険極まりないものの行きどころがない。権力の所在が明らかにならない。
    長を評して「任期中、何もしないのが彼の最大の功績だ」と言う人もいるくらいである。
    この国がひっくり返っても、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。
    意思がなければ、責任観念もない。罪の意識 (加害者意識) もない。
    被害者意識にとらわれた人の歴史認識は一方的な見解となって、人類の歴史を大観することはできない。
    あゝ言えば、こう言う。まじめな反省にもならない。未来社会の建設にもつながらない。
    責任ある回答にもならず、相手から信頼を得ることもない。不信の関係は膠着状態に入る。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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