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2013年12月27日(金) 

我が国首相の靖国参拝に同盟国のアメリカのみならず世界中の国々が失望している。

万世のために泰平を願わんと欲するのであれば、いかなることがあろうとも我が国の首相はA級戦犯の霊に敬意を表すべきでない。
この表敬は国際平和の根本を揺るがすものである。

追悼に当たり、我が国の政治は宗教にかかわりを持たないことを再確認しなくてはならない。
戦死者を追悼する適当な施設がないのであれば、政府は責任をもってこれを建設しなくてはならない。

政治家は、政治音痴と無為無策ではいられない。いつまでも迷走は許されない。早急に未来を拓く礎を築け。
我が国はリーズン (理性・理由・適当) による真理を追究する国家であり、’上とみるか、下とみるか’ の序列信仰からの決別を宣言しなくてはならない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

>「国体」とは大日本帝国のあり方、即ち明治に起こった新興宗教とも言うべき天皇教、国家神道に基づいて神である天皇が元首であり国の統治者である日本の形態です。

江戸時代においても、武士階級は他の階級に対して ‘下におれ、下におれ’ と掛け声をかけてきました。カミが上、シモが下である日本の政治形態です。

>ポツダム宣言について日本は国体護持に関してぐずぐず言いましたが、アメリカは「天皇については日本国民の自由意志で決めればいい」と言いました。軍部と政府トップの一部は、それでは困る、と。つまりそれまでの様に神様である天皇を国の統治者とする国体にこだわったのです。

‘ものの上下’ の判断は、日本人の行動するときの原動力、努力の源です。現実肯定主義の日本人には、神様である天皇を国の統治者とする国体以外には考えが及ばなかったのでしょう。

>その二週間で原爆を二発も落とされ、ソ連(ロシア)は中立条約を破って侵略してきた。こうして、死ななくてもよかった日本人を更に数十万も殺して守ろうとした「国体」とは一体なんだったのでしょうか?

序列に関する判断力を奪われる恐怖は、奴隷にされるような恐怖であったことでしょう。日本人の判断力は、序列基準による判断力が根幹となっています。当時の序列基準を守ることが、当時の「国体」を守ることです。

>そして国中が焼け野原になり、そろそろ餓死者も出始めていた日本です。一般国民が地獄の苦しみを味わっている事などは一切考慮になく、「国体の護持」が唯一、最大の降伏条件だった大日本帝国とはどんな国だったのでしょうね。

序列観念は、日本語の階称 (言葉づかい) に基づいています。
カミとシモの区別は世俗的に決められるものであるので、学問ばかりしていては獲得できない判断基準である。つまり、理性判断に信頼を置かない国民性ですね。
世間は実力の世界です。頭でっかちの人間にならないために、世間に出て ‘ものの上下’ を改めて学ばなくてはならないのであります。

>しかもたった6年の占領が終わって既に60年、国体の「こ」の字も出てきません。そしてその為に日本人が困っているという話も聞きません。いかに薄っぺらい観念だった証拠ではないでしょうか。

無哲学・能天気の日本人は、確かに薄っぺらい観念の持ち主でしたね。だがしかし、基本的にこの性質は今も昔も変わらないようです。





閲覧数740 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/12/27 04:13
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