さて、5月28日(水)は今回の旅の最終日だ。釣り具一式を宅急便にして齋藤さん夫妻に頼み、再会を約してクラブハウスを出発した。新居浜に戻ってレンタカーを返し、列車に乗って岡山に行き、新幹線で新横浜に着いたのは5時半ごろになっていた。新幹線の中でロビン・フッドを読み終えた。小学生の時に読んだときほどは感動しなかったが、とても面白かった。 この日は小学校の同級生である福岡在住のT福あきこさんが出版した絵本の原画展を友人と一緒に横浜・大倉山の画廊でやるというので、急遽ミニ同窓会をやることになっていた。みんなで画廊に行き、そのあと宴会をやろうというわけだ。 実はこの”あきこさん”は小学校時代にボクが憧れていた人であり、けっこう一緒に遊んだような気がする。とても可愛く、おとなしい子だったと思う。はっきり覚えているのは、板ガラスの破片にろうそくの煤を付けて皆で日蝕を観察したとき、ボクの投げたソフトボールが彼女に当たり、彼女はガラスで眼を怪我してしまったこと。あとで聞いたんだが、もう数ミリずれていたら、失明したかもしれなかったそうだ。この時、ボールは誤って彼女に当たったことになっているが、もしかしたら、ボクは半分意識して彼女に当てたような気がしている。そのことも今回謝りたかった。 会場に向かうタクシーの中ではボクは動揺していた。ほぼ60年ぶりに憧れの人に会うのだから。 ぎりぎりの時間に画廊に着き、入っていくと、よく会っている鎌倉のM智子ちゃんがいて、ボクを手招きし、こちらがあきこさんですよという。お互いに目が合い、彼女は「たいへん長らくご無沙汰しております」と言って、深々と頭を下げた。ボクは、「いや、ボクも、同じで・・・」と言葉を失っていた。子供の頃の面影が残っているのを感じていた。 あと、彼女は絵本のことをくわしく説明してくれたが、あまり覚えていない。 居酒屋に行ってボクの左側に座った彼女は、これまでの人生のことを話してくれた。10歳の時に他家にもらわれていったときは、私はそうするしかないんだと思ったんです、と言った。結婚して3人の子に恵まれ、女の子はフルートの勉強にフランスに行って、フランス人と結婚したそうだ。あきこさんの夫君は1年前に亡くなったという。「糸島の海のすぐ近くに住んでいましてね、実の母親を引き取って13年世話をして、母は最後は海を見ながら逝ったんですのよ。実の母を看取れて良かったと思っております」「今は野菜を作ったり、花を育てたりしておだやかに過ごしているんです」と二人で話をしていると幹事のM田君が、主賓を独占しちゃあいかんじゃないかと大声で言う。それをきっかけにボクは他の同級生との話に加わっていった。思うに、あきこさんに憧れていたのはどうやらボクだけではなかったらしい。 宴会は続いていたが、ボクは翌日は仕事があるので、先に帰ることにした。別れ際、あきこさんに「じゃ、元気でね」と小声で言うと、彼女はこっくりとうなずいたのだった。 ロビン・フッドといい、あきこさんといい、甘いノスタルジアの塊なんだが、こんなことを懐かしむのも歳かなと思っている。もっと前向きに生きろと叱咤する声がどこからか聞こえてきそうである。 これで四国への旅の話は終わりだ。だが、1週間という短い間になんと色々のことがあったことだろう!自分でも驚くばかりだ。