8月13日、曇り。前日にハリスを多めに作っておいたので、準備が整っていたボクは10時頃に相模原を出発、しようとした。ところが、である。ヘラブナ釣りの道具を入れたヘラ・バッグ(かなり重く20キロ以上あったかもしれない)を肩に掛けて運ぼうとしたときに腰にギクッというイヤな感じが発生した。ア、やったかな、と思った。以前にもやったことがあるので、ほぼまちがいなかった。このギックリ腰はやってからしばらくして痛みだし、数日から1週間ほど続くことが多い。ただ腰掛けているだけなら痛みはないが、体を伸ばしたり、歩いたりするとピリッと激痛が走る。旅行をやめようかと一瞬思ったが、ヘラブナ釣りは腰掛けていればいいので、何とかなるだろうと思い、決行することにした。だが、川歩きは無理だろうなと思った。 運転席に座ってみたが、痛みはない。そこで車に乗って走り出し、圏央道と中央高速の合流点が渋滞だったので、高雄で降りて一般道へ、相模湖からふたたび中央高速に乗る。あとは順調だったが、須玉で降りて清里に向かう道でまたもや渋滞。Uターンして須玉で高速に乗り長坂で降りて清里の先に出た。さすがお盆であった。途中、コンビニに寄ったが、車から降りて立ったときに腰に激痛が起こって体を伸ばせなかった。1-2分すると次第に痛みはおさまったが、よちよち歩きだった。その後は順調に走り、2時頃には松原湖に到着した。 松原湖では湖畔にある「立花屋」に3泊。着くと、F野さんから聞いていますとのことで、暖かく迎えられ、旅行用のバッグを2階の部屋まで運んでくれた。この日はボクは釣るつもりはなく、F野さんの釣りを見たかったので、ボートを借りて彼の所に行ってみた。F野さんは話しているときはお茶目な悪ガキの感じだったんだが、釣り姿を見ると背筋が伸び、すっきりした姿勢で釣っていた。顔も真剣であり、風格がただよっていた。ヘラブナ一筋40年、日本のトップに何度も輝いた雰囲気がそこにはあった。 ボクはボートを彼の右隣に止め、彼の釣りを観察した。どんな当たりで合わせるのか、エサの固さはどのくらいか、などを知りたかった。 見ると、ウキはずっと動いていて、なかなかしっかりした当たりがないようだった。 「ウキは動いていて、たくさんのヘラは群がっているんですが、力強い当たりがなかなか出ないんです」 「こんな時はどう対処していますか?」 「・・・我慢ですね」 「エサを小さくするとか、柔らかくするとか、しています?」 「エサは小さくはしたくないんですよ。かなり柔らかくはしています」と言いながら、エサが入ったエサボウルを玉網に入れて渡してくれた。それはとても柔らかく、ボクの強い振り込みではエサを飛ばしてしまいそうだった。見ていると、彼もそうっと振り込んでいるのがわかった。 いろいろおしゃべりする。2時間くらい見ていて、ボクは宿に引き上げることにした。 その日の夕食はF野一家とご一緒した。中学生と小学生の男の子が2人で、きさくな奥さんだった。よく飲んだなあ。夕食の中に何かの佃煮があって、よく確かめずに食べたら、とてもおいしかった。ただ、パリパリした食感があったので、よく見てみるとイナゴの佃煮であった!ボクはなんどか長野県に来たことがあり、ながの県人はイナゴを食べると聞いてはいたが、自分でイナゴを食べたのは初めてだった。考えてみると長野県に来たと言っても学会で行ったので、泊まるのはホテルであり、ホテルではイナゴは出なかったようだ。 部屋に戻り、酔った頭で「海賊と呼ばれた男」下巻を読む。出光左三は難関をつぎつぎに解決し、出光商会を大きくしていった。 窓を開けて電気を付けたまま部屋を出たので、夕食後に部屋に戻ると虫がいっぱい入っていた。蛾、トビケラ、ヨコバイ、ユスリカ、ガガンボが居たが、羽蟻が居たのに興味を惹かれた。見ると卵塊を付けていた。ほほう、こんな日に羽蟻が飛ぶんだなと思った。 それにしても、ここは標高は1100メートルもあり、涼しい。寝るときはフリースのジャージを来て寝たが寒くて目が覚め、押し入れから厚手の布団を出したものだ。寝返りを打つたびに腰が痛み、鎮痛剤を飲んだ。 いよいよ明日から釣りである、どうなることやら・・・