ここ二軒小屋にはテレビがない。携帯ももろに圏外である(井川でさえも圏外だった)。だから台風情報がまったくなかった。 2日目の12日、気温は7.5℃、朝から曇りだった。だが風はない。4人の60前の若者は7時からの朝食を急いで食べ、身支度をして、7時半のマイクロバスに乗って釣り場まで行く。そのあまりの慌ただしさに嫌気がさして、K木さん、Y本さんとボクはバスには乗らず、二軒小屋から歩いて行ける16番、17番の釣り場に行くことにした。おかげで3人はゆっくり食べ、コーヒーを飲んで、のんびりと身支度をしたのだった。 ボクは17番に入ってすぐのトロ瀬ですぐに3匹のイワナを釣り、今回はよく釣れると嬉しくなり、安心もして、すっかり余裕ができてしまった。そのトロ瀬の頭の所には大きな岩があり、すぐ横の川は深く、とてもウェーディングで渡ることはできなかった。その4メートルほど垂直に立っている岩にはルンゼ(凹んだ割れ目)があって登れそうに思った。じっくり観察するといけそうだったので、ボクは岩をよじ登り始めた。1メートルほど登ったところで、ホールド(手で掴む岩の出っ張り)が頼りなく、大きく両足を広げなくてはならず、左足は岩の割れ目に入れて固定できるが、右足のステップ(足を載せる岩の出っ張り)が下向きに傾いていた。竿も邪魔になる。そこでハタと困った。昔の体力なら問題なく通過できるのだが、悔しいかな、今のボクには自信がなかった。失敗したら落ちて怪我をすることは間違いない。行くか戻るか迷ったあげく、ボクは登るのをやめた。ボクは高校の時は山岳部であり、岩登りは得意な方だった。だが、今は体力がちがう。ボクは川岸を戻り、道に上がって、高巻きの形で大岩の上流側に行った。 その上の流れで数匹を釣り、さらに上流へ移動すると、堰堤があり、大きな淵を形成していた。今はかなりの増水で、釣れる場所は限られているが、淵尻の岩盤寄りに緩くて深い流れがあった。その時、ボクはさきほどK木さんから渡されたフライをティペットに結んでいた。ある人が巻いたもので、ラバーレッグがスパイダーのように四方に張り出しているアトラクターパターンだった。そのフライを緩い流れに落としてみると、着水したとたんに、真っ黒で大きな魚が深みからフライに向かって凄い早さで突進してくるのが見えた。あまりの早さにボクの右手は瞬時に反応してしまい、その大きなイワナが水面に着いた時にフライはそこにはなかったのだ。明かな早合わせであり、まったくの釣り人のミスであった。「・・・・・」ボクは呆然として水面を見つめるばかりだった。30年以上この釣りをやってきて、誰よりも経験があり、さまざまな釣り方を心得たベテランが、もっとも初歩的なミスをしてしまったのだから。もうちょっとイワナがゆっくり上がってきたらちゃんとフライをくわえるまで待って合わせられたのに、あんなに早く突進してくるのが全部見えていたものだから、ベテランであってもミスをおかしてしまったのだ。魚はとても大きかった。小さく見積もっても35センチメートルということはなかった。だから、掛けても取り込めなかったかもしれない。だが、そんなこと以前の問題なのだ。 結局、その魚は2度とフライには出なかった。10分ほど釣り場を休ませて釣ったりしたが、同じ事だった。 釣りが終わり、二軒小屋の原っぱで皆で集合写真を撮り、マイクロバスに乗って山を下る。そしてボクの車で山道を延々と走って2つほど峠を越えて新静岡インターに戻った。 天気にも恵まれ、この日も太陽が輝き、風もなかった。台風はどこに行ったんだ、という感じだった。 皆疲れた顔をしていたが、満足そうな笑顔があった。誰かが、「大井川源流は遠かったねえ。だけどいい川だし、魚も居るし、ロッジも快適だし、年に1度だったらまた来たいなあ」と言った。まさに皆がそう思っていたにちがいない。 沼津で飯を食って皆と別れ、東名上りは渋滞35キロであり、ボクは1号線で箱根峠に出て、箱根新道、小田原厚木道路、圏央道と通って相模原に戻った。クリニックで郵便物を見たら、スキューズ本の第三校が送られてきていた。疲れてはいたが早く見たくて校正を始めたが、さすがに続かなかった。 洗濯物を出そうと荷物を整理したら、トートバッグの底から割れたガラスの粒が出てきた。おお、そうだったのか、ガラス片は落ちて足下に置いていたバッグに入っていたのだった。このガラス粒は運が良かったお守りにしようと決めた。捨てないで、ジップロックの小袋に入れておくことにした。 そして思った。あの、深みから突進してきた大イワナの姿や顔を、ボクは一生忘れることはないだろう、と。