8月9日、日曜日、晴れ。今日も暑く、釣りに行く気にならない。午前中は「ある毛鉤釣り師の足跡(仮題)」の文に手を入れたり、写真を選んだりして過ごした。昼食には冷や素麺を自分で作って食べた。これは僕の夏の昼食の定番でね。以前は凝って、だしを昆布とかつお節で作ったりしたが、最近は面倒になって、市販のだしの素ですましている。今回の具はクリニックの庭に植えてあるミョウガだ。
で、午後は「NCIS」を見たりしていたが、思いついて買ってあったプッチーニの歌劇「蝶々夫人」を見ることにした。それはアレーナ・ディ・ヴェローナでの2004年上演のDVDだった。
「蝶々夫人」の歌は全部知っているし、話も知っている。だが、オペラ全幕を通して見たことは僕はなかった。今回、暑さのおかげで見ることになり、その意味では暑さの功名というところか。
感想:歌手は知らない人ばかりだったが、全体的にレベルが高く、じゅうぶんに楽しめた。全曲を聴いたことでやっと「蝶々夫人」を聴いたと思った。話は単純で、舞台はあ9世紀の長崎。アメリカ人中尉ピンカートンは日本滞在中に日本人妻と暮らした。彼女は当時15歳、可愛い娘であり、ピンカートンはバタフライ(蝶々)と呼んだ。ピンカートンは命令でアメリカに戻り、蝶々さんは一子を出産し、彼はかならず戻ってくると約束していたので、子どもと共にピンカートンの再来日を待った。だが、3年後にピンカートンが長崎にやって来たときにはアメリカ人の妻を連れていた。子どもは金髪で青い目であり、アメリカの新しい母親の元で育てられたほうが子どもの為にいいし、子どもを渡すことに同意するが、夫と我が子との永遠の離別に耐えられず、短刀で胸を突いて死ぬ。
全体に流れるメロディーには日本的というか、独特の音調があって美しく、どこの部分を聴いても「蝶々夫人」であることがすぐに分かる。DVDに付いていた岸純信氏の解説によれば、プッチーニが「蝶々夫人」を作曲をする上で大山久子というイタリア公使婦人の助力が大きかったようだ。「蝶々夫人」の初演は1904年。
「蝶々夫人」はプッチーニの名作であり、今でもよく上演されている。悲しい話であり、よくある話でもある。そんな物語が美しい旋律で歌い上げられ、聴く人の胸に迫り、涙を誘い、”ああ、いいものを見た”、と心に残るのである。
僕には最先端のリーディング・エッジ的の音楽よりも、一般民衆がよろこぶ音楽のほうが性に合っているようだ。歳のせいか?そうでもないように思ったりしているんだが・・・。