8月13日。この日は昼頃から雨が降るという予想だったが、出てみることにして、湖の最奥に入った。ヘラの食い気が出てきたのは11時頃からだった。ウキが動き出し、カラツンも多いが、30分に1枚くらいの間隔でぽつんぽつんと釣れだした。この日使ったのは川口の和竿師の竿孝9尺2寸の竹竿だった。竹竿は魚を掛けると魚の動きが敏感に手に伝わり、よくしなり、寄せてくるのに時間がかかるが、スリリングでもあり、その面白い。僕はじゅうぶんに楽しみながら釣っていた。
いっぽう、左隣で釣っているF野さんはカラツンで合わせてもカラ振りになって、〈ああっ、わあっ〉とか言いながら悔しがっていたが、それでも竿はしょっちゅう曲がっていた。僕の10倍くらい釣っていたと思う。さらに左に居るN村君もF野さんの半分くらいは釣っていたようだ。午後の2時ごろだったろうか、F野さんが、
「今僕は最高の状態にいます!」
と言うのが聞こえた。見ると、振り込んで、ウキが立ってゆっくりとなじんで、なじみ終わったすぐ後にスッとウキが沈んだらヘラブナが掛かっていた。ヘラを取り込んで放し、次ぎに餌を振り込んだら、まったく同じ事が起こって、釣れた。これが見ている間だけで10回は連続して起こった。10連チャンだった。フライフィッシングで言うワンキャスト・ワンフィッシュの状態だった。
「いやあ、スゴイ!すべてのセッティングが完璧に合っているんだねえ」
と僕はほめた。
夕方頃、僕の釣れ方が悪いので気をつかったF野さんがボウルに自分の餌を入れて、水面に浮かべて、僕の方に押しやってくれた。
「いまそんな餌を使ってます。その餌全部使っちゃってください」
と言う。それはとても柔らかく粘りがあり、その餌を使うと立て続けに釣れ、その餌がなくなって、もとの僕の餌を使うと、釣れなくなるのだった。
この日、僕に釣れたのは10数枚だったが、F野さんは100枚くらい釣り、N村君も40~50枚は釣っただろう。釣りが終わり、桟橋でF野さんが、
「いやあ、ボコボコにやられましたねえ」
と言う。だが、その顔は興奮で赤く輝いて、目が笑っていた。たくさん釣れて嬉しいのだが、それは腹の中に置いておいて、たくさんあったカラ振りの方を言って残念な感じを出すのが”品がいい”ということらしい。屈折しているのである。
ただ、ヘラブナ釣りではたくさんアタリがあっても、釣れたときよりもカラ振りになったときの方がガッカリして強く印象に残るものだ。綺麗に、スッとウキに当たりが出て合わせてもカラ振りだったときには本当にショックであり、落胆し、悔しい。もし1日釣って釣れた数とカラ振りの数が同じくらいだったら、”ヤラレタ”と感じるのは事実であり、正直な感想でもあるだろう。
同じ言い方を西湖で聞いたことがあるし、四つ玉ビリヤードでとんでもない名人と突いた後、〈混ぜくりまして、失礼しました〉とあいさつされたことを思い出した。カッコウ良すぎて、こっちは唖然としてしまうものだ。僕もそんなセリフを一度くらい言ってみたいものだが・・・。実力の差は歴然としていて、僕は開きなおるしかなく、それでも余裕を見せながら、
「F野さん、あの柔らかい餌の作り方を紙に書いて教えてくれよ。秘密じゃなければね」
と頼んだものだ。
釣りの後、リエックスホテルの「星空の湯」に行った。源泉掛け流しで露天風呂があり、設備も整っていて、お気に入りでね、宿で割引券をもらっていたので600円ですんだ。アイスクリーム食べ放題というのもいい。
夕食には地酒を飲んだ。ハヤの唐揚げ出て、それはまったく臭みが無くとてもおいしかった。若女将に聞くと長野県では料理用にハヤを養殖しているそうだ。信州サーモンも甘味が強くおいしかった。
部屋に戻り、この夜は早川良一郎の「けむりのゆくえ」を読んだ。良質のエッセイを読むのは高級のワインを飲むように心地いい。読みながらも時折、あの、ウキがスウーッとなじみ、スッと入るシーンが思い起こされた。彼でも、あれほどの状態はそうそうあるもんじゃないらしい。彼も〈松原湖に来だして8年になりますが、今日が最高の日になりました〉と言っていたし・・・。いいものを見たと思った。