12月25日、甲府に談露館という、明治20年創業のホテルがあって、JFFA会長の塩澤さん、僕(副会長)と総務理事の田中さんとの3人で、そこに泊まった。どうしても3人が顔をつきあわせて決めなければいけない大事な問題があった。そのこともあったのだが、僕としては塩澤さんとじっくり話をしたいという気持ちの方が強かった。 塩澤さんは1932年生まれの83歳だが、とてもお元気で、この日も自分で車を運転して飯田から甲府まで来られた。今年は富士山にも登ったそうだ。子どもの頃東京の櫻井釣り具に丁稚奉公に行き、その後東京で独立して進駐軍に六角バンブーロッドを販売し、天龍を設立して、リールや竿をつぎつぎに作っていった。戦後日本の釣り具製造業界の中心に居続けた方である。 25日の午後、早めに着いた僕は風呂に入った。いいお湯だった。面倒な話を先に片付けようということになっていて、4時半から6時まで会議をして、その後は「小作」という飲み屋に行った。塩澤さんからはお土産として、塩澤さんのインタビュー記事の載っているフライの雑誌、宇奈月小学校の本、それと干し柿をいただいた。僕もお土産を用意していたが、それは翌日に披露することにした。 塩澤さんは酒が入ると、口が滑らかになって、次から次へと話が移る。業界の裏話もポンポン飛びだしてくる。温厚で、人の良い面もあるが、はっきりした自分の意見を持っておられ、兄貴分のような塩澤さんを僕はすっかり気に入ってしまった。田中さんは笛吹市の出身で内に熱情を秘めた方で、人当たりはとても穏やかだ。釣りの話は終わりを知らず、郷土料理のモツ煮や馬刺しをたべながらかなり飲んでしまった。 翌日は朝食の後、僕の部屋に皆さん集まってもらい、僕のおみやげを披露した。一つはロナルズのフライフィッシャーズ・エントモロジーの初版本であり、手描きの図を見てほしかった。次に持ってきた竿を披露した。ラスピークがトムモーガンのために作ったグラスロッド7’#4、ラスピークが僕のために作ってくれたカーボンロッド7’7”#3-5、スコットのブラウン・グラス7’#4の3本であり、塩澤さんはとても興味を示された。またロッドの素材の話になり、「シントリックスってご存知ですか?」と聞くと、知らないとのことであり、僕は車に行って竿を取ってきて塩澤さんに見せた。「軽くて、張りがあって、しかも丈夫なんです。ハーディーもやりますナ」と言うと、塩澤さんはいたく関心されたようで、「それじゃあ、その4本をお貸ししましょう。お宅の職人さんやなんかに見せて参考にしてください。そうすれば竿も生きますし。ただし、半年後には必ず返してくださいよ」と念をおした。 そんなこんなで3者会談は無事に終わった。わざわざ甲府まで行っただけのことはあったと思った。ホテルはとても快適であり、宿代も高くなく、とても気に入った。 昼前には解散となり、時間があった僕は県立美術館にミレーを見に行った。そのあとすこし走って日川沿いの砥草庵で蕎麦を食べ、大月から中央高速に乗った。大垂水峠を越えた頃、天気も良かったので、多摩川のコイを見にいくことにした。関戸橋近辺で川を覗いて見るとコイは居たが水温が低いせいか水底でじっとしていた。そこで稲城の以前よくコイ釣りをした場所に行って橋から見下ろすと、大きなコイが元気に泳いでた。しばらく見ていたが、時折りコイの背や尾びれが水面上に出るが、ライズはしなかった。僕はあきらめて帰ることにした。原っぱでは若い男がフライキャスティングの練習をしていた。