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僕の両親は既に他界しています。 父は僕が中学三年生の冬に亡くなりました。 元々病気がちだった父は僕が物心つく頃には毎年のように入院し、小学生の頃には大きな手術もして、だいぶ小さくなったのを覚えています。でもそれは、僕の背が伸びて相対的に父の姿を小さくなったと思ったのかは定かではありません。 そして僕が中学生になった頃には年に数回入院するようになり、僕の中でも父の入院は特別な事では無くなっていました。 そして亡くなったのは、僕の高校受験の少し前、明け方に入院先から我が家に電話があり、僕は一人タクシーに乗って病院に向かいました。 じつは前の晩、既に父の容態は悪化していて、僕以外の家族は既に病院に行っていました。でも僕は受験を控えているからと気を遣い、起こさずに向かっていました。 そしていよいよという時に電話があり、一人病院に向かったというのが真相でした。 でも残念ながら父の死に目にはあと数分というところで間に合いませんでした。 ところが、父はもう何年も入退院を繰り返してたため、自然に自分の心の中で覚悟ができてきたのか、病院のベッドに横たわる父の姿を見ても涙は出ず、病室で皆が泣いている中、ただ一人極めて冷静な自分がいたのを覚えています。 そんな自分は夜が明けて普段と変わりなく登校、僕の姿を見た先生が慌てて僕を職員室に連れて行き「今日は帰りなさい!」と帰されたのもはっきりと覚えてます。 それから何度となく身近な人の死に遭遇しましたが、やはり涙を流すことはありませんでした。 それから時間は30年近く経ち、今度は母親を亡くすことに。 母は晩年認知症を患い施設に入所、それでも正月などには自宅に戻り、新年の挨拶を済ませ、一泊してまた施設に戻る生活でした。 もう今回が最後かな?と思ったお正月、今回も一泊してからと思ってましたが、母は自宅である事が全く分からず「帰りたい帰りたい」と繰り返すばかり。結局泊まることは諦め、元日の夕方に施設に戻って行きました。 そんな母も最期は病院の集中治療室で迎えることに。真夜中、1時過ぎに病院から連絡を貰うも、父同様に死に目には立ち会えず終いでした。 暫くその病院の付近を通るのは嫌だったし、病棟は見たくもありませんでしたね。 でも、父の死から30年近く、人の死に遭遇しても泣けなかった僕が、母の葬儀の時ばかりは涙が止まりませんでした。それまで「今回も泣けないんだろうな」と思いながら、喪主の挨拶に立ったのですが、立った瞬間にボロボロと涙がこぼれ落ち、用意していた挨拶が全て吹っ飛んでしまいました。 両親の死に目に立ち会えなかった事は今でも後悔の一念です。 |