書き込み数は3,298件です。 | [ 1 ... 309 310 311 312 313 314 315 316 317 ... 330 ] | ◀▶ |
日本語には、階称 (言葉遣い) が有る。'上とみるか、下とみるか' と考えて、 日本人は、序列を作る。序列人間は、立派な日本人である。国粋主義 (超国家主義) は一等国民を作った。 序列を外れた者は '非国民' である。村八分の憂き目にあう。それが恐ろしい。自分はどうしても、他と同じにならなくてはならない。 こうした励みが日本人の国造りの基本になっている。階称を持たないメンタリティの人たちには、こうした国体は甚だ迷惑である。島国根性で意義もない。必ず改めなくてはならない。我々は国造りの哲学を持たなくてはならない。 以下、'毎日新聞 2015/4/7' より 当時建立さ … [続きを読む] |
文章があれば意味ある。意味が通らないのは矛盾が混入しているからである。矛盾を見つけて訂正すれば、正しい考えが得られる。 日本語を使うと、現実の内容には意味が通る。そのための構文があるからである。 目先・手先の内容は、この次元で処理できる。中等教育の段階で、我が国は技術立国になった。 日本語を使うと、非現実の内容には意味が通らない。そのための構文がないからである。 英語のように時制があれば、過去・現在・未来の文章内容ができ、非現実の内容を展開する世界観ができる。次の世に思いをはせる。希望に胸を膨らませる。 現実搭載用の構文に、非現実の … [続きを読む] |
齢をとってくると、葬式の出席に忙しくなる。このような心境は、若いころには想像できなかった。友人が死ぬこと自体がほとんどなかったからである。今では友人・親族が次から次へと他界するので、次は自分の番かと、つい考えてしまう。生きながらえて、粗大ゴミになるか。それとも、早いこと見切りをつけてこの世におさらばするか。それが、問題である。'齢取った、齢取った' と、周囲のものから褒められているのや、落胆さてるのやら。 人が死ぬことを、'天国に旅立つ' と表現する。地獄に落ちる人はあまりいないようである。天国が、本当にあるのだろうか。なくても、人はつ … [続きを読む] |
社会は、相手が存在してのことである。 未来社会の建設は、相手と相談して合意に達しなければならない。 '自分さえ善ければ' の修身教育では、対処できない。 '我々はどこに行くか。' これは、哲学の命題である。その答えは、非現実の内容である。 過去・現在・未来の中の未来の世界について尋ねているのである。これらの三世界は、時制から発生している。 時制が無ければ、このような哲学的な (非現実の)発想もない。 特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。だから、北東アジアの民は、無哲学・能天気である。 '我々日本人は、どこにも行かない'。 'どこ' という … [続きを読む] |
|
>シャーマン米国務次官は2015年2月27日、日本、中国、韓国が3月中に外相会談を開催するとした上で「首脳会談につながることが期待されている」と述ぺた。戦後70年に当たり、歴史問題をめぐる対立を解消し,3カ国が米国と足並みをそろえることが地域の発展にとり好ましとの考えも示した。ワシントンのシンクタンクで戦後70年をテーマに講演した。(引用終り) アメリカ人の行動指針は、'小異 (中傷) を捨てて大同 (哲学)につく' ことである。 特亜三国の言語には時制が無く、民の脳裏には世界観が無い。だから、世界の 'あるべき姿' が、発想できない。そして、大同が無いので小異を … [続きを読む] |
>いま、「イスラム国」が狂信的かつ暴虐的なふるまいをして世界中から非難の声が上がっていますが、70年前の日本は、今の「イスラム国」と同類の狂信国家だったのです。 |
>高等教育(大学など)を受ける学費がハーバード大(年500万円!親の年収5000万円)や、オックスフォード大(年162万円)のように余りに高額だと、超リッチな子弟しか高度な知識や技術を学べなくなる。日本の東大は年54万円だが、家庭教師代や塾代にカネがかかるから、親の年収平均は1000万円である。昔は東大は中の下の家庭の子供でも行けたが、今では貧乏人の子は、受験前の段階ですでに差がついているから、逆立ちしても無理である。(引用終り) 我が国伝統の高等教育といえば、漢文と歌詠みであろうが、これらの修業は西洋の高等教育とは関係がない。 特亜三国 (日本・韓国・中国) の … [続きを読む] |
福沢諭吉の <学問のすすめ> には、次のような事が書いてある。 学問をするには分限を知ること肝要なり。人の天然生れ附は、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、ただ自由自由とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。即ちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり。自由と我儘の界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費やしてなすことなれば、仮令い酒色に耽り放蕩を尽すも自由自在なるべきに似たれども、決して然らず、 … [続きを読む] |
>2015年2月3日、明石康・元国連事務次長(国際文化会館理事長)は日本記者クラブで「戦後70年」と題して記者会見し、「“祈るだけの平和”から“創る平和”に移行しつつあるが、経済や技術・人道協力によるODA(政府開発援助)中心の平和構築が重要だ」と指摘した。また、安倍政権が戦後70年を機に「安倍談話」を出すことを志向していることについて、あくまでも「村山談話」や「河野談話」を基盤とすべきであると強調。その上で、「中国、韓国だけでなく米国なども注視しているので、これらの国々を納得させられるような文言を慎重に選ぶべきで、旧連合国すべてを敵に回す愚を … [続きを読む] |
[ 1 ... 309 310 311 312 313 314 315 316 317 ... 330 ] | ◀▶ |