(A) 日本人は、'現実'と'考え (非現実)' を分けることができない。
現実だけを考えれば、矛盾がない。
現実に考えた内容 (非現実) を入れると矛盾が生ずる。
現実だけを話すと、その内容は正しいが、その人は子供のようになる。思慮がないからである。
だが、残念なことに、日本語で話せば、理想の内容はこの世の嘘・偽りになる。
「それ、嘘・本当?」の中の嘘になる。
(B) 英語では、「あるべき姿」は未来構文 (未来時制) の内容となるが、日本語ではそうはならない。日本語には時制がないので、日本人の話は、言うなれば、現実構文 (現在時制) ばかりの文章で成り立っている。
「意思のあるところに方法はある」といわれているが、意思は未来構文の内容であって、現実構文の内容ではない。
だから、意思の内容を現実構文の中で言い表すと、この世の嘘・偽りになる。
(C) 日本人は自分の意思の内容を話すことはできないし、他人の意思の内容を求めることもない。腹の底・胸のうちは、どろどろ・もやもやしたものになっている。以心伝心に期待を寄せているが、これは勝手な解釈をしてもよいということか。
意思のあるなしを問題とすることなく政治指導者を選出しても、社会改革の手段とはならない。意思の表明が当事者を作る。実況放送・現状報告の内容ばかりでは、ただ傍観者の発言となる。
(D) 未来構想なくして、未来への夢と希望は得られない。未来のために金を投資する意思も出ない。金余り現象はあっても、その金を景気回復の起爆剤として活用することはできない。
この国には何でもあるが、ただ夢と希望がない。閉塞感だけが全国を覆っている。
昔なら閉塞から諦観へと進むのであろうが、自由を求める現代にあってはそうはいかない。
「仕方がない」の台詞は、外国人からも批判されている。
我々には、この世の嘘・偽りを本当にしてみせる力が必要である。考える力が生きる力となる。
(E) こうした言語事情もあって、日本では英米流の高等教育が成り立たない。キャンパスには退屈男・退屈女があふれ、4年間を遊んで暮す。それで、大学の教養部は崩壊した。外国のエリートも日本への留学を避けている。暗記と受け売りの練習で鍛えられた日本のからの留学生は、英米の大学にも適応できない。我が国では、職業教育は成り立つが、教養教育 (大学教育) が成り立たない。我が国は教育あって教養なしの国である。
Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.
沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins
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