ある時計をネットで買った。そして送られてきた箱には小冊子が同梱されていた。それは日本熊森協会が出した「クマともりとひと」だった。その時計屋は日本熊森協会を応援しているとのことであった。
ま、暇つぶしと思って冊子を読み始めたら、とても面白く、すぐに読み終え、気がついたら冊子の最後に付いていた入会届に記入していた。
この会を立ち上げたのは尼崎市立武庫東中学校の理科の女教師だ。1992年、ある女子生徒が自主勉強の時間に、痩せたクマが人里に出てハンターに撃ち殺された新聞記事の切り抜きと感想文を提出したことから始まる。新聞には戦後の拡大造林という政策に基づいて奥山の広葉樹を伐採してスギ・ヒノキの人工林が大々的に作られ、その結果動物はねぐらと食べる木の実がなくなり、飢えて人里に現れるようになったと書いてあった。動物が人里に現れるようになったのは人災なのだと。このことがきっかけとなり、子供たちはクマがかわいそう、何とかして助けたいと言い出したのだった。その子供たちに背中を押されて先生は勉強し、ツキノワグマが絶滅への危機を歩んでいることを知る。ある本には「クマは本来森の奥にひっそりと棲んでおり、見かけと正反対で大変臆病。99%ベジタリアンで、肉食を1%すると言っても昆虫やサワガニぐらい。人を襲う習性などまったくない」(ツキノワグマ日記、宮澤正義著)と書いてあった。人間の無知、誤解、無慈悲がクマを絶滅に追いやっていることを認識したのだった。そして、彼女は教室で言った。「みんなにやいやい言われていた、クマを守ってやろうという話だけどね。誰も守る人はいなかったんよ。それで、先生たち、「野生ツキノワグマを守る会」という会を作りました。声をあげてみるね」と言ったのだった。生徒は喜び、自分たちで考えて動きだし、ビラを配り、署名を集めた。教師と生徒は共同で県知事、環境省に陳情し、天皇陛下に手紙を書いた。ある男の子は「先生、これクマだけの問題と違う。ぼくらの問題でもあるんや。今の自然破壊を見てたら僕ら寿命まで生き残られへんてはっきりわかるねん。大人って、ほんまはぼくら子供に愛情なんかないんと違うかな。自然も資源もみんな自分たちの代で使い果たして、ぼくらには何も置いとこうとしてくれへんな」と言ったそうだ。
協会の活動は順調に続いているらしいが、問題は山積しているようだ。
「動物たちに帰れる森を、地元の人に安心を」を合い言葉に会ではシバグリ、ミズナラ、クヌギ、コナラ、オニグルミ、トチ、ブナなどの実のなる広葉樹の植樹を続けている。
僕も何かやらなくちゃと思った。信頼できるいい団体があれば喜んで応援するし、ボランティアで参加したいとも思っている。
日本熊森協会に興味のある方はhttp://homepage2.nifty.com/kumamori/ をご覧あれ。