10月23日(金)、晴れ。 晴れの日が続き、川の水は平水に近づいている。そろそろ旅の終わりになってきて、撮り落とした写真を撮ったりした。 メイヤーペンションの食堂の窓際には民族衣装を着た人形が置いてあり、カボチャ(?)のような帽子をかぶっていた。また、本日の天気予報も表示してあった。宿の外に出ると、煙突から煙が緩やかに立ち上り、風もなく、おだやかな日になってくれるようだった。 今日は釣りの最終日であり、僕の足は自然と巨魚のいる”橋のある釣り場”に向かった。橋に続く道は鉄道の踏切があって、鉄道には30分に1回くらいの間隔で列車が通っていた。 ガイドのドラゴが話してくれたのだが、10年ほど前、この踏切のすぐ近くで列車にはねられて死んだローマンという釣り人がいた。彼はスロベニアでは名の通った釣り人であり、ドラゴの友人だった。真冬のこと、ローマンとドラゴはサバ・ボヒンカ川のその場所に釣りに来ていて、ローマンは川から上がり、約1メートルの積雪の中、歩きやすい線路上をドラゴの方に来ていたとき、音も無く近づいてきた列車にはねられ、10メートルほど飛ばされて死んだそうだ。ドラゴはすべてを見ていたと言う。その時ドラゴが居たのは僕が今写真を撮っている場所だったそうだ。そのローマンは20年以上前に西山 徹さんがスロベニアを訪れたときのガイドであり、14年前に僕がスロベニアに行ったときには僕に会いに来てくれたのだった。ほんの数時間の面会だったが、西山さんのことを懐かしそうに話していたことを覚えている。 さて、橋の上からのぞくと、”サバ・ボヒンカ川の女王”様はまだそこにおられた!この日は暖かく、夕方まで魚の活性が続くような気配があり、夕方には女王様にお目見えしようと思った。 で、三たび下流側のグレーリングの集団に行ったが、この日はキビしかった。フライのくわえ方がアマイのだ。スレてきている感じであり、さすがにほぼ三日続けて同じ場所でいい釣りはできないようだ。テキも学習するのだった。いろいろフライを換えてみたが、最後に使ったのがグレーリング・フライとして昔から良く知られているレッドタグだった。これに換えたらグレーリングの出方は明らかに良くなったが、鉤掛かりさせるには至らなかった。 午後になると釣り人が増えてきた。サバ・ボヒンカの増水が収まって釣れる状態になってきたのが釣り人の間に伝わったようだ。夕方、橋の所にもどり、話して見ると、ルーマニアやイタリアから釣りに来ていた。女王の居る所にもイタリア人が立ち込んでいた。〈あそこに立ったんじゃあ女王から丸見えなんだが〉と思った。 やむを得ず、岸に座り込んでぼんやりと岸近くの浅瀬を見ていたら、点々と魚が付いていることがわかった。中にはかなりのサイズの魚も居て、半分くらいは尾びれがオレンジ色のグレーリングだった。ライズはたまにあるだけで、ほとんどが川底に定位していた。そこで、16番のビーズヘッド・スカッドを沈めてサイトフィッシングをすることにした。単体で流すが反応無く、スプリットショット1個付けても同じで、2個にしたら、グレーリングはパッと横に動いたので合わせると掛かった。気持ちに余裕があり、ストマック・ポンプを使って胃内容を見たが、たいした虫は入っていなかった。そして、黒い魚がその流れに来たと思ったらすぐに釣れ、それはブラウントラウトだった。ミハの話では、サバ・ボヒンカの魚種はグレーリングとニジマスが90パーセントを占め、ブラウントラウトは10パーセント以下だそうだ。 この日は頑張って暗くなるまで釣ったが、あのヘボイタリア人が移動せず、同じ所で釣っていて、”サバ・ボヒンカ川の女王”に挑戦することはできなかった。 スロベニアの釣りは終わった。結局5日間すべてサバ・ボヒンカ川を釣ったわけだが、すばらしい川だった。こんな川が近くにあったらなあと思わずにはいられなかった。 ペンションに戻るとストーブに火が入っていた。この冬のストーブの使い始めだそうだ。薪が燃えるのを見るのは嬉しいものだ。椅子に座って暖かさを堪能していたら、タチアーナが現れたので、写真を撮ってもらった。いま写真を見ると、ストーブのそばには幸せに満たされた一人の男が写っていた。