日記とは、ほんらい毎日書くべきものだろう。子供のころ日記を書いたが、毎日書いたかどうか、記憶にない。ともあれ毎日というのは大変な作業であることを思い知ったこのごろである。で、数日遅れで、時間のあるときに書くということになってしまった。
5月27日(日)、数年ぶりで八ヶ岳の川俣川にイワナ釣りに行った。入渓したところは標高約1500メートル地点で、川は100メートルほどの急勾配の底を流れ、道路から川への道も限られている。一度川にはいると2-3キロメートルは川通しで歩く必要がある。数年前に行ったときも、川の中で日が暮れ始め、最後の方は釣りもしないで、顔色かえて、帰り道まで急いだものだ。川には大石が多く、樹々に覆われて昼間も薄暗い。シカやカモシカがよく現れ、去年はクマも出たという。川では携帯は通じず、ここで転んで足でもくじいたら、救援を呼ぶ方法はない。だから、この川に入るときにはある種の覚悟が必要となる。ここは世間とは隔絶した別世界なのである。
狂人の僕としては、ことさらの覚悟も必要ではなく、さらりと、明日は川俣へ行ってくると言い残しただけだった。
入渓したのが、午前11時、川から出たのが午後6時だった。7時間、岩を上り、川を渡り、堰堤を7つ越えて、釣りをして、写真をとった。晴れて、花々が咲き、虫がたくさん飛んでいた。渓には生き物の気配が満ちていた。釣果は8匹。1匹大物に逃げられたのが残念だった。
釣りの途中でおもしろいことがあった。3つ目の堰堤を越えた後、釣り上がっていくと、川のずっと上流の方に巨大な人影が見えたのだ!”それ”は堰堤の所にいて、肩が張った上半身が見えていて、黒々として、下流側に向いて、じっと見下ろしていた。僕は一瞬ドキリとした。だが、何度見てもその影はまったく動かない。〈そうか、何かが人の形に見えているんだな〉と思い、やっと安心したものだ。
釣りながらその堰堤に近づいていくと、巨大な人型の正体が明らかになってきた。それは、堰堤に取り付けてある排水用の穴とそこから流れ出る水とによって人の形に見えていたのだった。写真をご覧あれ。遠くからの写真、すこし近づいた写真、そして、近くからの写真を載せておこう。
川俣川の巨人は、小さな角を生やし、胸元から草が垂れ下がっていた。
何となくホッとした僕は、この堰堤の下で弁当を開くことにした。セブン・イレブンのサケとトリのそぼろ弁当である。石に腰掛けて、開けにくいプラ容器を開けて膝の上に置いた。振り返ってお茶のボトルを取って前に向き直ったとき、指が弁当に触って地面に落下!ああ、無惨!そぼろ側が下になって落ち葉の堆積の上にベチャッと落ちたのだ。どうしようか、たべようか、たべるのをあきらめるか?しばし、迷った。腹は減っていた。都会の地面は汚いが、落ち葉は決して汚くはないと思った。意を決してご飯とそぼろを拾う。小さな落ち葉や小枝が混ざっていた。フキや人参の煮物も拾い上げた。食べながら小枝をプッとはき出す。落ち葉の小片は呑み込む。メシは、まあ、空き腹に旨かった。都会じゃあ、こんなことはやらないなあ、と思った。かなりのそぼろが残ったが、これは、ノネズミやテンへのプレゼントだ。いずれにしろ自然に還元するのだから。
川を約3キロ歩き、僕はかなり疲れていた。崖につけられた道をたどると広々とした牧場に出た。赤岳が間近に見え、遠くに南アルプスの北岳の雪の山頂が美しかった。なだらかな牧場を下ると、白い花を付けたヤマナシが黄昏のなかに佇んでいた。
心ゆくまで渓(たに)で遊んだ一日だった。
歩きながら思う。あと何年、この釣りを続けられるのだろうか・・・、と。