「上と見るか、下と見るか」の考え方に熱中する日本人の判断は、自己慶賀と自虐の間を行ったり来たりしている。
太平洋戦争の開戦当初は自己慶賀の教育をされ、戦後は自虐史観を教えられて私は育った。
戦後の復興期には自己慶賀に酔ったが、人が無哲学・能天気であることはいつの時代も変わりがなかった。
入試地獄は今日でも続いている。学問を種にした人間序列 (学閥) に自分の名前を連ねるために、まる暗記 (rote memory) と受け売り (regurgitation) のガリ勉に励む。ガリ勉による結果の格差が人間の価値を決めると信じられているからである。先輩と後輩の間に自分の名前をさしはさむことが、この国では何よりも大切なことと考えられている。
日本人には、自己がない。暗記と受け売りのガリ勉には、自己の考えはなくて通る。自己の考えなどは、あって不要のものである。滅私であることが、公明正大であると考えられ、教育あって教養のない人間が育成される。だから、我が国のインテリには、生きる力がない。国がひっくり返っても、責任者は出ない。一億総懺悔となる。これは、一億総歌詠みの状態であって、感性あって理性なし。全ての国民が、国政のハンドルから手を離した状態になっている。とかく、この世は無責任。個人主義のないことは、よくよく考えてみると非常に危険なことである。
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Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.
沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins
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