今年も北アルプスの姫川の支流にイワナ釣りに行った。泊まりは定宿になりつつある「イタリアンレストラン&フライフィッシャーマンズロッジ・フロンティア」。N居田君が幹事をしてくれ、合計9名の参加となった。
ここのオーナーシェフは名物男でネ。マタギの血を引くY田さんは”白馬の山猿”と名乗り、健脚にものをいわせて付近の源流帯を釣り歩き、イワナの居場所を知り尽くしている。フィッシングガイドもやるし、バンブーロッド・ビルダーであり、イタリア料理の名料理人でもある。多才な人物である。
僕とY本さんは金曜日の夕方に宿に到着。ちょこっとイブニングをやろうということになり、宿のミユキさんが秘密の場所に案内してくれた。そこは谷底の小沢の堰堤下であった。淵は深く、木の枝が覆い被さって竿は振りにくく、ロールキャストを多用するしかない。行くとライズは始まっていて、狭いところなのでY本さんと交代で釣り、まずまずのイワナとヤマメが釣れた。そして、かなり暗くなったころ、対岸沿いで大きめのライズがあった。フライはうまく流れ、水しぶきがあがって僕は合わせをくれた。ところが軽い抵抗があっただけで、次の瞬間巨大な魚がゆっくりと深みに向かって行くのが見えた。それはびっくりするほど大きく、50センチメートル近くもあった。ラインを回収するとティペットが切れており、会わせ切れだった。7Xだったしネ、魚が大きすぎて合わせ切れになってしまったのだった。僕は興奮していた。あの、何事も捨て去っても惜しくない、何事よりも優先度が勝ってしまう”釣りたい”という「釣り人魂」に火がついたようだった。股間の充実感と同じで、おお、まだ俺にもあるのか、と思い知った感じだった。
「いやあ、スゴイ魚だったよ。悠々と深みに行くのがはっきり見えたんだよ。このくらいあったよ、サケみたいだった」
と両手を広げてみせた。ミユキさんは
「そうだったんですか。やっぱり生き残っていたんですね。今年中はそのイワナはフライには出ないでしょう。用心深いですから」
と言う。彼女はそのイワナのことを知っているような口ぶりだった。
翌朝、皆が到着し、沢割りをして、それぞれ姫川の支流に入った。僕はY本さんと二人で比較的遡行しやすい沢に行き、ともに5-6匹ずつ釣った。イワナはみな綺麗で、最大サイズは28センチほどだった。天気は良く、空気は爽やかで、とても気持ちのいい釣りだった。
5時頃には全員宿に戻ってきて、温泉に行くと言う。僕は前日の大イワナの姿が忘れられず、ダメモトでいいからもう一度あの谷底のポイントに行きたかった。ただ、入渓点がわかりにくく一人で行ける自信がなかった。宿の人は夕食の準備で忙しそうだったが、頼み込んでミユキさんに入渓点まで案内してもらい、彼女はすぐに宿に戻ってもらい、僕はポケットライトが点灯するのを確認して、一人で谷底に降りていった。僕は魅入られたように谷を下った。堰堤下に着いてみるとライズはほとんど見られなかった。僕は竿にラインを通し、ティペットは5Xにした。ポット入りコーヒーを飲みながらライズを待つ。昨日、あれだけいじめたから今日はやはりダメかなとあきらめかけたころ、7時過ぎだったろうか、やっと対岸すれすれで水しぶきが上がった。慎重にフライを投げ、ライズの主はフライをくわえた。強い魚だった。だが、あの魚じゃないな、と思った。あの魚ならこんな引きですむはずがないと思った。寄せてみると黒い肥ったイワナで、サイズは30にちょいと欠けるくらいだった。一応釣れたので僕は満足し、急いで皆が待つ宿に戻った。
宿に戻るとすでに夕食が始まっていた。僕が入っていくと。ワッと歓声があがった。
「やあすまないねえ、僕だけ抜け駆けのように行っちゃって」
と言うと、みんなは〈いやいや、いいんですよ。それで、どうでした、釣れました?〉と聞く。うん、まあ、何とかね、と言いながらデジカメの写真を見せる。あとはメシを食い、かつ飲んで、宴会へとなだれ込んでいった。
翌朝、案内してくれたミユキさんへの感謝を込めて、持ってきていたお気に入りのバンブーロッドを振ってもらった。竿はウィンストンのリートル・フェラーLeetle Feller、7’6”4番とストリーマー(ウィリアム・アブラムズ)作のエドワーズの7’3番のワンドWand。彼女のキャスティングはとても素直で綺麗だった。ことにリートル・フェラーを振っているときにはライン・ウェーブがなく、まっすぐなラインが伸びていた。彼女は自分でも驚いたようで
「ラインが自然にまっすぐに飛ぶんですよ」
と喜んでいた。竿を手放したくないようだったが、残念ながらプレゼントするわけにはいかない。
あの谷底の、サケのような大イワナの姿は僕の網膜に焼き付けられ、とうぶん消えそうにない。困ったもんだ。また行くしかないかな、と思う。