このところ、スキューズの翻訳に気合いが入ってきている。釣りにも行かず、休みにはひたすら翻訳をしている。その理由は本の終わりが近づいてきたからだ。現在、240ページであり、あと33ページとなった。88パーセント終わったということになる。
だが、そうすんなりとはいかない。スキューズの文章はほんとうに手強く、10行くらい訳すと疲れて一休みとなる。コーヒーを入れ、コーヒーを飲みながらテレビを見る。そしてスキューズに戻って10数行を訳す。ようやくその章の内容が見えてきたころに、難解な単語が続々と出てくる。辞書を引く。辞書を引いてもわからないことが多く、日本やアメリカのネットを調べる。さらには、我が図書室の本を引っ張り出して調べる。それでも分からないことがあり、その場合はオーストラリアのミック・ホールに聞く。こんな作業の繰り返しなのだ。
こんな困難な作業を支えているものは何か?金にならないことは明々白々である。名誉か?それは少しあるかもしれない。はっきりしているのは、僕にしか出来ないことをやっているという自己満足なのだろうと思っている。オーストラリアのミック・ホールという友人の存在も大きい。
だが、この本は重いなあと思う。内容が濃いのだ。フライフィッシング用語辞典も重かったが、それと重さの種類が違うが、総重量はあまり変わらないような気がしている。
もしかしたら、僕が歳を取って根気が続かなくなってきたのかもしれないが・・・。
ここで、スキューズの本の中から、面白そうな話しをひとつ紹介しよう。
-----------------***-----------------
一生のうちの小さな成り行き
ONE OF LIFE'S LITTLE CAST IRONIES.
ウェイ川R. Weyの支流にあるクラブ・ウォーターの最上流の所にリバーキーパーのコテッジがあり、そこはサットン・パーマーSutton Palmer(訳者注:イギリスの水彩画家、1854 – 1933。イングランドやスコットランドの美しい風景を描いた)がサレーSurreyでもっとも美しい所のひとつと呼んだ地域にあり、イギリス全体の中でも美しいほうの場所でしょう。そこでは川幅は15から20フィートで、川はゆったりと流れ、小さくあるいは大きく曲がって、よどみや反転流を形成しています。
リバーキーパーのコテッジの下では流れが狭まっていて、そこの右岸には大きな樫の木が生えていて、川側に斜めに傾いているので、背の高い人が左岸を歩くときにはかがまないといけません。木の幹のすぐ上では流れは川岸の土手をえぐって小さな湾を作り、そこは強い流れを避けたい魚にとって絶好の居場所になっていて、餌が流れてくるのを待ち構えるにもいい場所でした。
1915年の秋、その湾にはいつも黒っぽい魚が居て、釣りのシーズン中ずっと釣り人から狙われましたが、フライを拒否し続けていました。狙った釣り人は腕の立つ会員だったり、彼らよりややレベルの高いゲストだったりしました。それはすばらしい魚で、彼の活性が高いときなんかには、釣ってクリールに入れたいというよりは、釣れなくても彼を狙って過ごしたいと思わせるような魚でした。
8月のある日の午後、ペール・ウォータリー・ダンが散発的羽化をしていて、その鱒は定期的に鼻先をちょっと水面に出してライズをしていて、あるゲストが挑戦してみたのです。彼は身をかがめながら樫の木の下流側に行き、彼の右側や後ろにある高い土手をうまく通り抜けて、また、覆い被さっている木の幹や枝の下をくぐり抜けて、彼はスイッチ・キャストで短いラインを投げました。何度も、何度も投げ続けました。そして、彼はミスを犯したのです。すると、その魚は1フィートくらいすうっと上流側に動いて、かつて森との境界に張ってあったワイヤーフェンスが今は水際に落ちていて、そのワイヤーの下に入っていったのです。釣り人は彼を休ませることにしました。しばらくすると、その魚は不審な感じを持ちながらも、反転して下流側に移動し、ふたたびライズを始めたのでした。ただし、その魚はワイヤーからは離れず、すぐ近くでライズをしていました。釣り人はふたたびキャストを開始しましたが、彼のタップス・インディスペンサブルをワイヤーの下に通すかどうかで困った状況に追い込まれたのです。今はフライはワイヤーの上流側に落ちて、そしてワイヤーに引っかかってしまいました。見物人が回り込んでフライを外してあげようかと申し出たのですが、その釣り人は忍耐力のある人であり、その助けを断り、ラインにドラッグを掛けてフックが自然に外れるのを待つことにしたのです。いまやガットの一番細い部分が魚の背中の真上にありました。突然、その魚は数インチ下がり、頭を傾けました。するとその動きで浮いていたラインが揺れ、魚はガットの結び目に食いついたのでした。釣り人は相変わらず低く構え、魚の助けによってガットが引かれたおかげかもしれませんし、まったくの運かもしれないのですが、フライはワイヤーから離れ、水面に落ちたのです。その次のキャストではフライは蜘蛛の糸のように軽く水面に落ち、次の瞬間、鱒が掛かっていました。
その鱒は1ポンドをすこし越えたサイズで、その川のアベレージサイズを上回ってはいましたが、特に大きいというわけではありませんでした。しかし、長い間釣れなかった鱒がやっと釣れ、クリールに収まったのを見て、一生のうちの小さな成り行きのせいで、すなわち彼が結び目に食いついたことによってフライが解放され、その結果身の破滅をもたらしたという事実には、私は納得する所がありました。
-----------------***------------------