日米安保条約は、大切な条約である。
これにより、日本はアメリカにつなぎとめられている。
この条約により東南アジアの国々も安心していられる。我が国も信頼を得ている。不自由を常とおもえば不足なし。
我々には、恣意 (私意・わがまま・身勝手) と滅私奉公の世界に住み続けるか、それとも意思と自由の世界に住み替えるかの問題がある。
どうして日本は危険なのか。それは、経済的な繁栄からくる根拠のない力の過信からきている。気分・雰囲気が問題である。
細工物の出来栄えが良いからと言って、政治音痴が通用するものでもない。
性能の良い戦闘機と巨大な戦艦があれば、戦争に負けないと思い込むようなものである。
どうして戦闘機は撃墜されるのか、戦艦は撃沈されるのか、それは日本人にはわからない。少なくとも想定外になっていた。
日本人には意思がない。だから、意思の表明はなく、隣人の賛同を得られることもない。
だが、日本人には恣意がある。これを満足させたい。
もやもやした鬱憤を晴らしたいのである。
我が国は民主主義の国である。民の民意は尊重されている。
民は’うちの者’ である。指導者は内向き姿勢をとっている。民の溜飲を下げるために気を使っている。閉塞の出口は見当たらない。お家の事情で外に打って出る。
外に盟友はいない。世界の孤児は孤軍奮闘して戦ったこともあった。が、その結果はよくなかった。国際社会の総力を結集するものにはならなかった。
未来時制の文章があれば、意思として筋を通すことができる。矛盾があれば、それを指摘することもでき訂正することもできる。議論の対象にもなる。
過去と未来の文章がなければ、ただ、幻と夢を語るしかない。意味もない。空気・雰囲気・感傷の表現だけで終わる人生はむなしい。
この道はいつか来た道。ああ、そうだよ。民族の歴史は繰り返す。
無哲学・能天気ではいられない。英米流の高等教育の普及を国策としなくてはならない。
民族の悲劇を繰り返さないために、わが国民の意識改革は必要である。
自分自ら’あるべき姿’ の内容を世界に提示しなければ、外国の賛同者・協力者は得られない。
ただ、援助を差し出すだけでは、相手国の信頼は得られるものではない。何を考えているかわからない。盟友はできない。
‘和をもって貴し’ となすならば、我が国からの未来社会の’あるべき姿’ の提示は是非とも必要である。呪文・掛け声の類は必要としない。
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