5月に四国の徳島に滞在したとき、モラエスのことを初めて知った。そのときは眉山にあるモラエス館にたまたま入り、モラエスはポルトガル人で海軍中佐であり、神戸で領事となり、日本人と結婚し、余生を徳島で過ごして生涯を終え、墓も徳島にあることを知った。明治から大正にかけての人であり、文筆家で、日本を欧米に紹介した人であった。ボクは感じるところがあり、墓はロープウェイ乗り場のすぐ近くにあると聞いたので、時間をもてあましてもいたし、墓参りに行ったものだ。
旅行の後、モラエスについて調べてみると興味深い人のようなので、「おヨネとコハル」モラエス著と「孤愁(サウダーデ)」新田次郎・藤原正彦著の2冊の本を買い、今日ようやく読み終わった。
ボクはなんと言っても、ポルトガルの中流階級に生まれ、親兄弟もいたのに、ポルトガルには帰らず、身分や年金を放棄して、日本に永住することを決意したのはなぜだったのか、ということを知りたかった。
格差社会で夢も希望も見出せずに世紀末を迎えていた時代のヨーロッパ社会にあったモラエスの眼には、日本は別世界の理想郷に写ったようで、死生観、輪廻思想、諦観、女性のつつましさ、方丈記などに強いインパクトを受けたらしい。ラフカディオ・ハーンという先人が居たことも大きかったようだ。
くわえて、マカオ在任中に中国系女性と同棲し、2人の子供が生まれたのだが、その女性との関係がこじれ、最後には敵対関係のようになってしまったこと。転任先の神戸で、美しく、つつましい”おヨネ”に会い、惚れ込んで結婚したことがモラエスの一生を決めたように思った。
人情家で、自分の哲学を持ち、実践した人であった。世俗的名声や富を捨て、個を生きた人であった。神戸のおヨネと徳島でのコハルは若くして亡くなり、モラエスは徳島市伊賀町の長屋に独りで住み、雑炊を作り、七輪でイワシを焼いて、毎日おヨネとコハルの墓参りをしながら執筆を続け、75歳で亡くなった。遺言によって遺体は火葬され、遺灰はコハルの墓に入っている。
なかなかの人物であった。
だいぶ違うが、スキューズと共通点があるように思った。