25日夜、飲み会があった。そのうちの一人からメールがきて、それに対する僕の返信メールを紹介しよう。参加者の内訳は脳外科医3、心臓外科医1、外科医1,形成外科医1、消化器内科医1、呼吸器内科医1。僕は「ある毛鉤釣り師の足跡」を皆さんに進呈した。 S馬先生 いやあ、ほんとうに楽しい会だったね!昔話もたくさん出て。 昭和40年代、出身大学もばらばらで、行きどころのなかった若い医者ができたばかりの北里大学病院に集まり、みな最高の医学を身につけ、実践しようと意気込んでいました。ちょっとオーバーですが、”梁山泊”のようだと言った人もいました。寝る時間の少ないことに不満を感じながらも、みな必死に働いたものです。あのころは、各科の垣根を軽々と越えて、協力して診療に当たっていましたね。医者だけじゃなく、ナースやパラメディカルも同じ心胸だったのです。今となっては夢の彼方のできごとのように思います。その時ともに働いた者同士には戦友と同じような強い信頼関係が生まれていました。僕が北里を辞めたのは2000年ですから、今日まで少なくとも17年は会っていなかったということになるでしょう。それが今回A利君の骨折りでふたたび会うことができました。とても懐かしく、楽しい会でした。こんな集まりはとても貴重であり、2度とないかもしれませんね。 僕のことに関しては、うまく言えませんが、運にも恵まれ、やりたいことをやってきた人生だと思っています。医学でもそこそこの仕事ができ、フライフィッシングに出会ってからは新しい価値観・生きがいを得ました。渓流で、竿を振ってフライを飛ばしていると、自然に包まれ、何の束縛もなく、自由で自分らしい自分が感じられました。ま、このあたりは本にも書いたので、読んでみてください。 自己実現というとやや大げさですが、僕は自分の能力を最大限生かすことができたと思っているので、人生に悔いはまったくありません。もう親爺より5年も長く生きているし、いつ死んでもいいのです。ただ、苦しまずにコロッと行ければ言うことはありません。 S馬先生も人生を楽しんでください。教育も楽しいですよね(彼は北里病院を定年で辞めた後は救命救急師養成学校の教師となっている)。若者のやる気を喚起して、背中を押してあげてください。心を揺さぶる話は、彼らはずっと覚えていますよ。 ではまた。 寿命がもてば、また年末あたりに飲み会をやりましょう。 川野 |