はじめて朗読のCDを聞いた。題は永井荷風の「墨東綺譚(ぼくとうきたん)」、朗読は神山繁であった。 ことの経緯は、まず、永井荷風の代表作といわれる「墨東綺譚」を読んでいなかったので、読んでみようと思い立ったこと。そこでアマゾンで注文したら、どこでどう間違ったのか、配達されてきたのは朗読のCDであった。返品しようかとも思ったが、朗読のCDを聞いたことがないし、朗読をしているのは神山繁さんで、彼は今年の1月に亡くなっているが、僕は神山さんによく似ていると何度も言われたことがあり、これも何かの縁だろうと、CDは返品せず、聞いてみた、というわけだ。 朗読もいいもので、だいいち楽であった。と思っていたらそうとばかりは言っていられなくなった。耳で聞いただけでは理解出来ない言葉がどんどん出てくる。もっとも昭和22年初版の本であり、現在では使われない言葉が多いこともその原因だろう。朗読で”神田錦町の貸席きんきかん”、”あきあわせ”、などと言われてもピンと来ない。別に購入した本を読んでみたら”錦旗館”や”秋袷せ”と出ていて、理解しやすかった。 で、結局、朗読を聞いて、それから本を読んだわけだ。本は読みやすく、147ページと短いので、すぐに読めてしまった。挿絵がところどころに入り、小説の雰囲気を盛り上げていた。荷風が隅田川の東、つまり墨東の、玉ノ井という私娼窟に行き、雪子(お雪)という娼婦に入り浸った本意は以下の文に表れているように思う。 「つまり彼は真白だと称する壁の上に汚い種々(さまざま)な汚点(しみ)を見い出すよりも、投捨てられた襤褸(らんる)の片(きれ)にも美しい縫取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々にして鳥や鼡の糞(ふん)が落ちていると同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花と香(かんば)しい涙の果実がかえって沢山に摘み集められる。」 また、本文のあとに32ページにおよぶ「作後贅言(さくごぜいげん)」があり、これが面白い!昭和初期の東京市の時代の風情が語られ、興味深い。 こうやって朗読と本とを比べてみると結局「本」に軍配があがりそうだが、こんかい改めて神山繁の朗読を聞いてみたが、これはこれでとてもいいものであった。神山の語りには荷風自身が自分の事を語っているような錯覚を感じさせるものがあった。 |