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ついでに 「トラウト」第2報です。この後は少し先になります。ここまで読んで、僕は「トラウト」という本をちゃんと全部読んでみることにしたのです。 第1章 初期のころの経験 私が覚えているかぎり、私は小さいころからアウトドアの遊びに夢中だったようです。子どものころの記憶はほとんどがおぼろげで不明瞭ですが、今でも覚えていることがいくつかあります。それは奇妙にも嵐の日のことであり、私は嵐の中で釣り糸を手にして、ハドソン川へ突き出ている石の桟橋に居たり、やはり嵐の中でパラセイズ(注:ハドソン川西岸にある、垂直な断崖が連続している所)の北の壁の境界になっているフックマウンテンを流れる川の石の多い河原を、歩き回ったりしていたのです。 そして、東からの強風にあおられた雨粒が私の顔面に突き刺さるように当たるのを、驚くほどの現実感を伴って、今でも感じることができます。川の水は怒り狂ったように桟橋や川岸に打ちつけていたし、東の灰色の空のすぐ上には真っ黒い雲の塊がいくつもあって、それは激しく変化して形を変えながら、西に向かって急速に移動していました。 子どものころのことはあまり良くは覚えていないんですが、魚が釣れるかどうかは大事なことではなかったように思います。今考えると、釣りは外に出て、外の空気を呼吸し、自然の女神がときおり見せてくれる魂のようなものに触れるための口実だったような気がしています。はっきりと覚えているのは、3日くらいの嵐をもたらす強い北東の風が吹く時が、私は大好きだったことです。その時には、村の通りには人けがなくなってしまいます。そいの状況は私にとっては理想的であり、家の中にじっとしては居られなかったのです。嵐は私を原始の時代に引き戻し、体が喜びで震えるほどの興奮を感じてしまうのです。これは極端な比較かもしれませんが、私はすごくお金がかかっているであろう独立記念日の花火を見るよりも、川岸や山の頂上で嵐に吹かれている方が好きな子どもでした。 すべての生き物やその付属物は、それが人間であろうがなかろうが、おたがいに直接的に関連づけられているものだと思っています。自然の不思議さに魅了される者の近くあるいは離れた所には、必ずや同じ思いの仲間が居るのです。そのような心の持ち主にとって釣りは感性のはけ口であり、人生における辛い試練を、たとえ一時的であっても、休止させるものなのです。自然の気まぐれに適合してしまった私にとって、必然としてアウトドアに出るようになったし、釣りは、私がほとんど知らなかった、自然の秘密を解き明かすという生まれついての欲求を最も良く満足させる、1つのスポーツであるように思えました。釣りをライフワークとして学んでいくということに、私には迷いはありませんでした。 * * * * * * 私の子どものころの状況は現在とはずいぶん違っていました。19世紀後半のオールドファッションのやり方を経験しましたし、20世紀に入ったころの速射砲のような社会の変革も見てきました。馬と荷馬車は自動車に変わり、マカダム(砕石)道路はタルビア(コールタール)舗装となり、ついにはコンクリート舗装になっていきました。それぞれの変遷は釣りにも影響を与えました。私がアウトドア雑誌に記事を書き出したころには、文の内容は重要視されていませんでしたし、ライターに対する謝礼などは考慮されず、単にページが埋まればそれでいいという感じでした。ライター側も自分の名前が印刷されるのを見て満足していたものです。この状況は次第に変化して、多くの人が釣りに興味を持つようになり、読者も一級の内容の文章を求めるようになっていきました。先進的な雑誌は次第に売り上げを伸ばし、内容の質も上がっていきました。私の最初の原稿には35ドルの謝礼が払われ、2回に分けて雑誌に載りましたが、その雑誌も後に他の雑誌に吸収され、姿を消してしまいました。 自然のなりゆきとして、私の初期の釣りはもっぱら餌釣りでした。餌釣りをしているうちに鱒がどこに居るかがわかってきました。事実、私が住んでいた地域でフライを使っている釣り人は居なかったし、フライフィッシングを知っている人も居ませんでした。今から18年前でも、地域に6人以上のフライフィッシャーマンが居るとは思えませんでした。当時私はカウンティー(郡:州の下位の行政区画)ではいちばん大きなスポーツ用品店を経営していましたから、このことに関してはかなり正確に把握していたのです。私はフライフィッシングを広めようとかなりの努力をしたのですが、なかなか売れず、多くのフライが棚に売れ残っていました。餌釣りの本が50冊売れる間にフライの本はやっと1冊売れるという感じでした。今ではまったく違います。今では餌釣り師よりフライフィッシャーマンの方が多く、フライやフライタイイング・マテリアルはすぐに売れてしまいます。 これらのことを考慮すると、私がかなり若いころからフライフィッシングを始めたというのは、少し特別のことだったようです。魚釣りにおける隠れた秘密を解明しようと私は常に最大の努力を続けてきたわけですが、その基本姿勢が私に人より早くフライフィッシングを始めさせたと言っていいでしょう。ご存じのごとく、みんながそれなりの理由があって止めた後でも、私は結果が出なくてもやり続けたんですから。1年のうちのその季節にも鱒を釣る方法があるはずだと信じていましたし、その方法をいろいろと試していたのです。その努力のおかげで、ある釣り人に会うことが出来たのでした。彼は、正しい場所で、正しい時間であれば、釣りシーズンの終わりころであっても鱒を釣っていたのです。 その日のことは、決して忘れることはできません。それは7月の初旬のことで、いつも行っている川の開けた川岸の土手で昼食をとっているときのことでした。私は川を2マイルほど釣り下ってきて、6インチの鱒を2匹釣っただけでした。その釣り人は寄ってきて話をしたんですが、その時、彼はこれまで見たことがないような見事なブルックトラウトを私に見せてくれたのです。 それは私が望んでいた千載一遇のチャンスであり、これを逃してなるものかと思いました。私は彼に、7月の中旬以降、自分がいかに運がなかったか、他の町の釣り人たちは、鱒は4月と5月に釣れるだけであって、それ以外の時期にも釣りたいという自分をバカにしていることを話しました。 「僕は信じられないんです・・・、もしそうなら来年の春まで鱒は釣れないじゃないかと。あなたは、たった今、僕が正しく、町の釣り人が間違っていることを証明したんだ!」* と私が言うと、その釣り人は、ほほえみながら、こう言ったのです。 「すべての鱒が釣り切られてしまうということはあり得ないんだよ。鱒は、ときにはとても少なくなり、数が少なくなればなるほど鱒は賢くなって釣りにくくなるものだよ。そしてある鱒はあまりに賢くなって練達の釣り人にも釣れなくなってしまう。そんな魚が川に残って魚族を維持しているんだよ。だけど、このあたりは餌釣り師が釣った後も鱒がたくさん残っているんだよ。君も知っているように、このあたりではフライでは釣りが難しいし、釣りシーズンの後半で釣りになるのは、大雨が降った後の、ミミズでよく釣れるときだけだろうね。これがよく”釣り切られてしまった”と言われている状態さ」 「ところで、見てごらん、アルダー(注:センブリ科の水生昆虫)の塊が見えるかい?」 と彼は言いながら、40フィートほど下流側の川の曲がりにあるブッシュの方を指さした。 「あそこはかなり深くなっているんだよ」 「でね、鱒はこの時間ブッシュの陰によく付いているんだよ。ちょっと鱒の気を引いてみようか」 そう言いながら、彼は45フィートほどのキャストをして、フライを川の曲がりの上にフワリと落とし、ハンノキすれすれに流した。彼はフライが沈むまですこし待って、そして竿先をわずかに動かしてフライがリズミカルに泳ぐように操作した。3回目の操作の時、水面でピンク色の輝きが見え、水面が爆発した!彼は一投目で結果を出したのだった。魚を取り込み、彼はナイフで魚の頭を叩いて絶命させた。緑色の苔の上に横たえられた魚を、二人して大喜びで見入ったものだった。彼は竿をたたみ、帰る準備を始めた。そして 「それじゃあ、さようなら。その魚を持って帰って、君をバカにした連中に見せてやりなさい」 と言った。 *当時、鱒の追加放流があったかどうかはわかりませんし、法に定められたサイズの鱒は使われていませんでした。その川では何年も鱒の放流は行われていませんでした。 その釣り人の寛大さに私は圧倒されていました。私は口ごもりながら支離滅裂な感謝の言葉を発していたようです。彼が立ち去った後、彼の名前も住所も聞いておかなかったし、また川で会う約束をしておかなかったことを悔やんだものです。彼に聞きたいことが山ほどあったんですから。当時、フライフィッシングに関することがらはどこにも書いてなかったのです。一方、その出来事はあまりに衝撃的だったので、その時の知識は完全に私の中に吸収され、身に付いてしまったのでした。彼は”その事件”のことはおそらく2-3日後には忘れてしまったでしょうが、私にとっては絶対に忘れられないことであり、彼の行動が引き起こした影響の大きさをもし彼が知ったらどう思うだろうかなどと考えたりしました。 私はフライフィッシングの道具をまったく持っていませんでしたし、お金もありませんでした。そこで、釣りはしないで、川を観察することをすぐに始め、それは数週間続きました。その間、できる限りの倹約をしましたし、釣り道具を買うために新聞配達をしました。なぜなら、釣りシーズンが終わる前にフライフィッシングの道具を揃えたかったからです。ついでに言っておきますと、その数週間の間、川を観察することは、一時的に釣りを忘れることができるほどに、興味深い作業であることに私は気がついたのでした。それは、それまでの釣りの経験をはるかに越える最高の経験でした。私は川の深みの上に張り出しているハンノキの根本に何時間も座って観察をしました。そこからは鱒がどんな動きをしているかがよく見えていました。川の観察の結果、釣りのための知識をため込むことができ、それがその後の私にとっての貴重な財産になったわけですが、その時は観察の重要性を私自身は理解していませんでした。私は単に鱒が釣りシーズンの終わりの時期に、どこでどんな風に餌をとるのかを知りたかっただけなのです。私が見つけた重要なことがらで、後に私が釣り人として腕を上げるもとになったことがらを以下にまとめてみました。 つづく |