ちゆきさんご自身もたいへんですね!
私が治癒起算の立場としたらもっと動揺してしまうでしょう。
ご自愛下さい。
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前半は母の件、後半は私自身の件。順不同。 母の容態は安定し、命の危険は、ほぼない。 それどころか、左半身麻痺も回復しつつあり、まだ歩くことは無理であるが、1月7日(日)に母に電話した際に訊いたところでは食事の際に左手で茶碗を持っているという。 尚、高齢のため、手術はしてない。薬物治療とリハビリのみである。矢張り母に電話で訊いたところ、血圧は120前後に抑えられてる由。 但し、電話で話す限り、明らかに認知機能の低下が認められる。物忘れが、加齢に伴うものを大きく超えて一気に酷くなっているのである。92歳という年齢相応とは言えるが、高齢にも拘らずしっかりしていた脳出血前とは格段の違いが認められるのである。2年前の自動車運転免許更新で認知機能検査を満点合格した母が、少なくとも電話会話で分かる限りでは、見る影もなくなっている。 因みに、食が凄く細いと思ってた母だが、病院食を完食してなお空腹だという。どうも、凄く少食だと思ってたのは、間食が多かったからのようだ。 いまだ、転院先のリハビリ病院も決まってないし、当然のこと転院日も未定である。 母の介護保険認定申請のため、「東部ふくしあ」のヤギ氏が1月4日(水)14時に来宅されると、12月27日(水)に約束したことは、既報の通り。 1月4日(水)午前に、ヤギ氏より電話があり、代わりにコマガタ女史が来る由。 1359コマガタ女史が来宅。(名刺を貰えなかったので、名前の漢字は不明) 母の介護保険の認定の申請。市担当者の認定調査に立ち会うことになった(1月11日の午前10時に中東遠の病棟にて)。私が主治医意見書問診票に記入して中東遠に提出することになった(現在の状態については書けぬが、其れで良いという)。 コマガタ女史は、次のアポがあるとかで急いでおり、1444に帰られた。私自身のことを相談する時間はなかった。 尚、1月11日(木)午前は、私は災害VC掛川の定例会を欠席することになり、後刻に、欠席連絡をケータイのSMSで送った。 1月5日(金)午後、アポなしで東部ふくしあの私担当の宮澤氏が、看護師鈴木女史を伴って訪宅。ちょうどこちらに序でがあったので寄ったという。12分間の訪宅。 コマガタ女史から私のことを聞き及んで、訪宅された由。 市の福祉弁当(自己負担は安い)や、介護保険でヘルパー派遣(週1回ぐらい)が、可能という。 改めて訪宅されるとのこと、翌週に午後が空いてる日はないかと問われ、10日(木)と決まった。宮澤氏と鈴木女史が去られた後、木曜日は11日だったと気付き、東部ふくしあに電話して、11日(木)に訂正の伝言を頼んだ。 宮澤氏に言い忘れたが、介護保険での介護予防通所リハビリについても、相談しようと思う。 私の血圧は最近、180/110前後である。降圧剤アムロジピンを1日5ミリグラム服用してるのに。 一昨年6月(1年半前)の脳梗塞以来、血液凝固防止剤クロピドグレルを1日75ミリグラム服用してるので、若し脳出血が起きれば致命的であり、血圧を下げることは急務であるのだが。 暮れに樋口内科・消化器科に行く算段をしてる最中に母が入院し、行けずに居る。 給湯器が壊れた風呂、「湯張り」は出来ぬものの、湯舟に水を張っておいて「追い炊き」することは可能と、判明。 体調が少し復調したので、1月8日(月・祝)夕方、久しぶりに石油ファンヒータに灯油を補充できた。久しぶりの暖房は、天国の感あり。尚、1月8日(月・祝)朝の当地の最低気温は氷点下0.6℃であった。 1月3日(水)晩~1月4日(木)朝は徹夜したので、1月4日(木)晩~1月5日(金)朝はゆっくり寝る予定であったが、1月5日(金)0946に、区長加藤氏と民生委員杉山氏に叩き起こされた。 前日に東部ふくしあのコマガタ女史が来訪したことを説明し、12月26日~28日の記録1部を手渡した。 今週の私の予定。9日(火)、中東遠に差し入れ(受け入れ時刻1530~1700)してから急いで1640あつみクリニックでリハビリ。10日(水)1530城東クリニック。11日(木)1000中東遠で母の介護保険審査に立ち会い、午後は宮澤氏が来宅。12日(金)1330全日写連例会、1600あつみクリニックでリハビリ。13日(土)杏林堂薬局。 |