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2009年03月13日(金) 
味覚と嗅覚 Taste and Smell

 魚の嗅覚に関する実験を遂行するのはほとんど不可能でしょう。正しい嗅覚の判定をするためには魚の視力を奪わなければならないからです。そんな残酷なことはできないので、実験をすることをあきらめています。
 味覚についての観察もやさしくはありません。私は一度観察小屋から水面に連続的に10個の死んだイエバエを投げ与えたことがあります(鉛の管で吹き飛ばして)。対象になった鱒は鼻の上に白い模様があるやつで(それは釣り鉤でできたキズ)、かれはすべてのイエバエを食べてしまいました。次に30匹のイエバエの体の目立たない場所にケインヌ・ペッパーとカラシを塗りつけて、同じ方法で与えてみました。そのうち20匹のイエバエは水面に落ちた瞬間に鱒に食べられたので、塗ったものが水で落ちてしまった可能性はありません。あとの10匹では食べられる前に、水面に1秒か2秒は浮かんでいたので、塗った物の一部は剥がれて沈んだ可能性があります。翌日の朝、全く同じ実験を同じ鱒に対して行ったところ、前日の食事を覚えているんじゃないかと思ったのですが、実際にはその鱒は実においしそうにすべてのイエバエを食べたのです。このことから、そして類似の実験から、例えば羽虫を蜂蜜や、オイルや、酢に浸したりして与えてみたのですが、結論として、もし鱒が味覚を持っているにしても、味覚がきわめて鋭敏というわけではない、と考えられました。
 ある人は鱒はどんな昆虫でも食べると言い、ある人は鱒はミツバチ(Apius mellifica)とジガバチ(Vespa vulgaris)は食べないと言い、またある人は鱒はごく稀にマルハナバチ(Bombus)を食べると言います。これらのことが正しいのかどうか、私はさらに実験を重ねました。
 この小屋の近くに食事に通ってくるものたち(鱒)は、川を流れ下ってくるすべてのものを詳細に観察し、時にはどん欲に一息に飲み込みますが、時には食用としての適不適を推定し、用心しながら口にします。そして、いったん口にしたあと即座に吐き出すことも多いのです(注1:おそらく、その表面に付いていた小さな虫を食べた後に)。ここである可能性が浮かび上がります。それは、もし、鱒が人と同じ味覚を持っていないとしたら、鱒は味覚と同等のなんらかの感覚を授けられているはずではなかろうか、ということです。このことは鱒が、あの得体の知れない人工の毛鉤をなぜ口にするのか、という疑問に答えを提供するかもしれません。しかし、それは新説をすぐに信じ込んで唱えたがるイカサマ師が、彼らの技術の無さと厚顔無知さ加減を隠すために、あたかもある医者がたった一つの薬ですべての病気を治したように、たった1個のフライですべての魚を釣ったなどと言うことへの口実を与えるものではありません。もし、鱒がマーチブラウン(訳者注:ヒメヒラタカゲロウ)をどん欲に補食しているときに茶色のミツバチを拒否したならば、マーチブラウンに可能な限り似ていて、ミツバチには可能な限り似ていないイミテーション・フライが必要であることは明かでしょう。
 私は、ミツバチやジガバチが魚の視野に入っているとき、魚がそれを食べるか否か迷っているのを数多く見てきました。このことにはたして魚の嗅覚や味覚が関わっているのかどうかに関しては、私には決定的なことを言うことはできません。
 あるとき、マルハナバチが流れてきて、鱒が近づいてきたのですが、彼はマルハナバチの直下で、ほとんど触れるくらいに近づき、そのまま流れとともに3フィートほど下流に流され、結局マルハナバチをくわえずに行ってしまったのです。
 別の時に、マルハナバチを水面に投げたところ、流されて、一匹の魚が水面のマルハナバチに向かって浮き上がってきて、虫を注意深く観察したのです。そして、用心しながらゆっくりと口にくわえ、沈んでいきました。その直後、鱒はマルハナバチを吐き出してしまったのです。そして、その鱒は次に流れてきたマルハナバチにも興味を示し、泳ぎ上がってきては鼻先で触るくらいに近づいてはくわえずに元の位置に戻っていきました。これが6回も続きました。とうとう最後にくわえましたが、すぐに吐き出してしまったのでした。
 デイビー卿は(サルモニア、28ページ)述べています。「魚類において鼻孔の役割は鰓を通る水の勢いを加速して呼吸を効果的に行うことだと信じている。一方、水質や水に溶解している物質を感知する感覚神経-それは嗅覚、あるいはむしろ人の味覚に似たもの-が鼻孔から鰓までの間にあるのではないかと思われる。なぜなら、魚類は餌釣り師が使う匂いのするミミズに魅惑されるのは疑う余地のないことだからである」。同じく、184ページでは「我々は水中生物の感覚を計ることはできない。鰓の存在によって魚は空気から隔てられているのだから。しかしながら、水質は魚の生命や健康と密接に関連しているので、彼らは水の変化に鋭敏であるはずだ。それは陸上の動物の鼻が空気に敏感なのと同じことなのだから」。
 確かに、この説明はわかりやすいし、きわめて健全な考え方でしょう。私たちの感覚(五感)と魚の感覚を比較検討するのではなく、私たちは持っていないが魚は持っている感覚を発見するということに努力を傾けるべきなのではないでしょうか。注1。

〔注1〕この興味ある話題に好奇心を感じ、さらに深く追究したい人は、以下の論文を熟読することをお薦めします。それは1807年8月24日、エム・ドゥメリルM. Dumerilによってフランスの研究所報に書かれたもので、英語に訳され、ニコルソンズ・ジャーナルNicholson's Journal、29巻、344ページに掲載されています。その中では、たくさんの状況が思慮深く検討され、彼は根拠とともに3つの結論を述べています。第1に、魚の味覚に関しては、もし味覚を持っていたとして、それは口の中では感知されないこと。第2に、味覚あるいは味覚と同等の感覚の感知能は、これまで臭気体の流出を感知するとされてきた器管に与えられていること。第3に、水中で匂いは感知できるものではないこと。

 私は過去3年間の漁期中に毎週のように釣ったたくさんの鱒の胃を検討し、その結果にもとづいて、選択すべきフライのリストを第Ⅳ章にまとめています。鱒の食料構成は以下のごとくとなっていました。主たる食料は羽虫(訳者注:おそらくカゲロウ)とキャタピラー(訳者注:毛虫)に加えて、ストローベイトstrawbait(訳者注:トビケラ)やストーンベイトstonebait(訳者注:カワゲラ)の幼虫で、付着していた石や殻と一緒に補食されていました。ついで、甲殻類、ヨコエビ、小魚、幼若なザリガニ、クモ、ヤスデ、ハサミムシ、水生甲虫などでした。一方、カエル、巻き貝、ネズミ、が見られたことはありません。もちろん、他の川ではこれら以外のご馳走があることでしょうし、"ピリ辛味の釣り鉤"はほとんどの鱒の川で見られるものでしょう。
 胃の内容物を調べる便利な方法として、毛漉し器に入れて綺麗な水をポンプで入れればいいのです。バラバラになって小さなゴミがとれたら、水をはった大きなカップに入れて観察します。
 この方法で、さまざまな川で、季節ごとに、鱒の食べた物を調べれば、釣り人にとっては非常に価値のある情報を得ることができます。ミミズは冬の後のもっとも早期に有効な釣り餌です。その後にテムズ川の大鱒を釣るためにスピニング・ミノーやブリーク(訳者注:ヨーロッパ産のコイ科の魚)のトローリングが始まります。そしてフライフィッシャーは、小川の上をかすめるさまざまな昆虫を気持ちよく食べている魚を見かけるようになります。春が進めば、あふれるばかりの豊穣がもたらされ、新しく生まれ変わった川には羽虫や動物がうごめくようになるのです。
    ---つづく

閲覧数561 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2009/03/13 11:02
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2009/03/14 09:36
    鉛筆狂四郎さん
    S藤さん:

    確かに出版社は確実に収益につながる見通しがたたないと出してくれないからね。販売網は持っているわけだが。

    「フライフィッシャーの昆虫学」は掛川でのカレッジで盛り上がって、和訳してほしいということになったわけだから。背景は掛川にあるよね。
    掛川のNPOで出してくれるなら嬉しいな。自然の流れだし。
    僕は名より実を取る方なので、出してくれるならどこでもいいのです。
    ただね、本を出すというのはけっこう大変な作業だよ。人手、時間がくわれるし。
    次項有
  • 2009/03/14 09:15
    S藤さん
    あのー・・・出版するには出版社じゃなきゃいけない、ってわけじゃありません。NPOで出版する、ってのもありです。

     なぜNPOから出版するのか?
     掛川とどんな縁があったのか?

    出版社じゃ、こういうエピソードは生まれませんからね。
    出版社は販売収益のメリットが優先されます。
    NPOは共に取り組むシチュエーションの創造から、
    背景訴求、情報発信、などがメリットになります。

    名でなく巧をとっていただく方法を提案します。
    次項有
  • 2009/03/13 14:52
    鉛筆狂四郎さん
    オガ爺さん:

    いやあ、我が意を得たりというコメント、ありがとう。
    ほんとうにその通りです!

    自然の鱒を自然状態で近くから観察することは、ロナルズが作った観察小屋を作るしかできませんからね。
    これまでのぼんやりしていた知識がこの本のおかげで明らかになったような気がしています。

    励ましのお言葉で、俄然やる気が出てきました。
    頑張って全文を訳すつもりです。
    出版社はおいおい探していきましょう。
    次項有
  • 2009/03/13 12:45
    オガ爺さん
    いやあ・・ある程度、翻訳が進んだところで感想など書き込もうと思っていましたが、こりゃあ面白い。
    我慢できずに書き込んじゃいます(^^;)

    鱒の聴覚や味覚、嗅覚の実験なんて、日本のFFMじゃやりませんよね。(もしかしたらやってるのかな?)
    彼の時代に、ここまで科学的であろうとする姿勢。
    驚きとともに、敬意を表します。

    自分たちがやった仕事なんて、彼らの収穫の後、落ち穂拾いをしているようなものだ、と目の前に突きつけられた思いがします。

    いやあ参った。
    これは出版する価値、大いにあり、ですね。
    期待してます!
    次項有
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