日本語で話す場合は、環境が決まらなければ、自分自身も定まらない。こうした事情により、日本人は序列社会の環境に強い愛着を持っている。序列があれば、自分が定まる。序列なき所に礼儀なしである。
日本語には、人称がない。日本語脳は、受け売り・猿真似は受け入れることが出来ても、個人の考えを受け入れることは難しい。だが、序列思考は権威主義に弱い。首を縦に振る。
「総論賛成、各論反対」では、各論は現実構文の具体的な内容であり、総論は奇麗事というか空理空論に近く、実現の熱意を欠いた内容になっている。
意思は、未来構文の内容であるが、日本語には未来構文がない。それで、個人の意思の内容も定かではなく、意思の強さも闇の中である。常に傍観者的態度をとっていると言える。
政治家は、現実対応の優劣を他者と競う必要がある。「押して駄目なら、引いてみな」で、政治家には議論が大切である。議論成り行きは、民の興味の湧く事柄であるはずだ。
日本人の頭の中には、現実構文の内容しか入っていない。だから、未来の内容に関しては、「やってみなければ、わからない」とか「なってみなければ、わからない」という気の無い返事をすることが多い。自分に関する発言が「、、、、、だろう」「、、、、、だろう」と現在に身をおいた推測・憶測の連発になる。未来構文があれば、未来のことを断言できる。自分の頭を使っていない証拠であろう。
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Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.
沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm
and
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