東京美術学校(現在の東京芸大)に在籍した多くの画学生が第二次世界大戦で兵役に招集され、帰らぬ人となった。せめて残された絵をできるだけ多くの人に見てもらいたいという願いをこめて作られたのが無言館という美術館で、長野県上田市の外れにある。僕はだいぶ前に放送されたテレビ番組で無言館の存在を知った。描かれた絵が画面に映し出された時、僕は強烈な印象を受けたのだった。絵と写真は似ているが根本的に違う。絵には個人の思考、情熱、葛藤が充満していて、魂そのものが込められているのだから。
無言館に展示されている人々は僕とは縁もゆかりもない。だが、いつか無言館に行って実物の絵を見たいと思うようになった。一方、無念の恩讐が満ちているようで、絵を見るのが恐いとも感じていた。そして今年の終戦記念日のあと、やっぱり行こう、見ておかなければいけない、生き残った者の義務だとさえ思った(ちなみに僕は戦中生まれで、終戦の日には2歳であった)。鎮魂とか、そういうんじゃない。事実を事実として自分の目で見て認識しておく必要があると思ったからだった。
地図で上田市を見るとかなり遠いので、上田市に2泊の予定で、20日の昼には出発した。中央高速で諏訪・白樺湖経由で行ったが、5時間ちかくかかった。
無言館は上田市の南、別所温泉の近くの小高い丘の上にあった。真っ青に晴れて酷暑の中、灰色のコンクリート打ちっ放しの簡素な建物が西洋の修道院のような感じで建っていた。入り口の表示もない簡素な木のドアを開けて中に入ると、薄暗い室内には数十枚の絵が壁に掛けてあり、作者の名前・顔写真、簡単な説明、死亡場所、死因、享年が書いてあった。また、中央には遺品、手紙、家族の写真、愛用の画材などが展示されていた。
僕は1枚ずつ、正面から絵を見ていった。絵の具が剥がれたり、傷んだりしているのもあった。絵の完成度は決して高いとは言えないが、キラリと光るものがあった。僕の印象だが、妻や恋人の絵が多かった。裸体も少なくない。皆、二十代、三十代の若者であってみれば当然であったろう。
残されたノートから、印象に残ったことばを書いておくと、
「あと5分、あと10分絵を描き続けていたい。招集の時間が迫っている・・・」
「私は生きて日本に帰ることはできないだろう。
私には私だけが持つ世界がある・・・」
一途で純粋な若者たちであった。有能でもあった。
自己実現・自己発揚のために絵画という困難な道を選び、日々研鑽していた若者が戦争によって夢を奪われ、若くして命を奪われたのだ。
その無念さは痛いほど伝わってきた。
無言館の展示場から外に出ると木陰に木のベンチがあった。僕はタバコを一服し、思った。ああ、来てほんとうに良かったな、と。
この2枚は画文集「無言館」より引用